相続の手続きを終えモスクワに向かったムイシキン公爵が戻ってきます。そして,ナスターシャを含めこの物語の主要なメンバーが滞在する別荘地に向かいます。
ここで,エパンチン将軍の三女のアグラーヤのプーシキンの詩「貧しい騎士」の朗読が行われます。このあたりから,ムイシキン公爵とアグラーヤとの関係がとりざたされていきます。ムイシキン公爵とナスターシャとアグラーヤという三角関係。
この時,ムイシキン公爵の相続に対して自分たちに権利があるという若者たちの集団が訪れます。彼らの主張はニヒリズムそのもの。
ここには,キリスト教の本質がまるごと表現されているじゃないか。つまり,神は生みの父親であるという考えや,父親が自分の生みの子を見るのと同じように,神が人間を見るという考えさ
宗教的な感情の本質って,どんな判断にも,どんな過失や犯罪にも,どんな無神論にもあてはまらない。何かがちがうんだ。そこには何かがある。無神論が永遠にするりとかわされてしまうような何か,無神論では永遠に見当はずれなことしか言えない何かが,さ。でも,何にもまして大切なのは,ロシア人に心では,それがほかのだれよりもはっきりとすばやく見てとれるということなんだ。
このあたりは,ドストエフスキーのキリスト教に対する考え,ロシア人というものの本質をあきらかにしようとすることを示していると思います。
最後に,この第2巻に登場するムイシキン公爵は白痴と言われながら,するどい意見を展開します。