こういう題名の本をヘッセが書いたわけではありません。まずフォルカー・ミヒュルスという人がヘッセが本を読むことに関して書いたエッセイから「書物の世界」として62タイトルで本を出しました。そして岡田朝雄さんがそこから13タイトル選んで訳したのがこの本です。
ヘッセは乱読は進めていません。新聞をすべて読むことも進めていません。

本当の読者は常に固定した基準と型にはまった考え方に従わず,自分の感情と心の欲求に従って本を読む人だけである。

・・どんな新聞の切れ端でも,読まずに捨てることなく,ザルに水を注ぐように何でもかまわずせっせと読みつづける貪欲な読者がいる。・・・・このような人の欠陥は,その読み方だけにあるのではなく,もっと深いところに,すなわち性格全体にあるからである。

読者は,本に対する愛の道を行くべきであって,義務の道に行くべきではない。ある傑作が非常に有名であり,それをまだ知らないのは恥ずかしいからというだけで,それを無理に読むのは,大変な間違いである。そうするかわりに,誰でも各自の性質にふさわしい作品でまず読むこと,知ること,愛することをはじめなくてはならない。


痛いところをつかれた感じです。
ただ,こういうことが言えるヘッセはかなりの読書家です。ヘッセ自身の反省なのかもしれません。自分のような読み方をするな,という。
その本が愛せるかどうかは読んでみないと分からないとも思います。愛せる本を探すために,これでもかと本を読む。読書沼ですね。僕ははまってます。なかなか抜け出せない。ヘッセの言うように性格の問題だと思います。
少なくとも多読をひけらかすようなことはいけないのかなと思います。また,本の感想は人それぞれなので,こういう読み取りでないとかはいけないのでしょうね。その本が面白いかどうかは人それぞれだということも確かなことですね。