ドストエフスキーに傾倒している埴谷さんならではの展開。

 得体の知れない首猛夫は三輪与誌の異母兄弟。瘋癲病院から脱出した矢場徹吾も異母兄弟。カラマーゾフのスメルジャコフか・・・

 そして,この六章は「最後の審判」。これもカラマーゾフの大審問官かな・・・

この「最後の審判」では,大審問官のようにイエスも裁かれます。

 ここで裁かれるのは存在について。

 もっとも,よく分からなかったです・・・

 「私が何か」ではなく「何が私であるのか」という逆転の問いは考えさせられました。