タカシがいかにして池袋のGボーイズのキングとなったのか。
タカシとマコトの二人が高校時代の頃の物語。。。
タウン誌のライターをやってるマコトは,高校の時から文才あり。
タカシの兄猛は,高校のボクシング部で全国で準優勝の腕。その兄を素質でしのぐのが弟のタカシ。
兄のタケルが池袋にGボーイズを作り上げ,初代ボスとなる。そんな時に,東京制覇に現れたのが,埼玉ライノーズ。
あとは読んでください。基本的には,マコトが語るいつもの池袋ウエストゲートパークです。
この本で,僕がもう一つ素敵に思ったのが,巻末の辻村深月さんの解説。
人気があって当然だ,と思った。
何故ならそれは,私たちの小説だったから。
どうして辻村さんが「私たちの小説」だと捉えたかの解答として,石田衣良さんの文章を紹介されてます。
日本ではだいたい,学生の頃勉強ばかりしてぜんぜんモテなかっただろうなという人が,年を取り難しい顔をしてなにかというと評価されたりすることが多い。渋くて,硬くて,重いものがエライのだ。人生の不公平,社会の矛盾,恋愛なら不倫やどろどろの心中もの。そういうのが立派な芸術として認知されてきた。国語の教科書や最後に載っている名作リストなんて,生きてるの嫌になっちゃったという嘆き節のオンパレードだ。あんたらの一生はそんなに苦しいことばかりだったのか。(中略)
なぜ,そんなことになっちゃうんだか。実は答えはカンタンだ。しれは,渋くて,硬くて,重いものを扱うほうが,加工が簡単で手間がかからないから,生きるヨロコビとか,ふわふわと軽くて甘いキモチとか,周囲に向かって開かれたみずみずしいココロなんかを表現するほうが,固めた泥を流れ作業で扱うよりずっとずっと難しいのだ。
この意見に僕は賛成。前にフローベールの「ボヴァリー夫人」を読んだときに,単純に不倫の話じゃんと思いました。そう批評していけないのかな,と思いましたが,東大の方が分厚い批評の本を出されてるくらい文学作品なんですよね。もちろん,これはこれでいいです。
そして,辻村さんの作品には,生きてるの嫌になっちゃったというものが多くあります。僕は辻村さんの作品大好きで,ほとんど読んでます。僕は辻村さんの作品の中にも,これって自分のことだ,という発見があり,「私たちの小説」です。
そして,僕にとっても,「池袋ウエストゲートパーク」も「私たちの小説」なんです。それは,「日常の僕たち」があるからかなって思うんです。
これで,池袋ウエストゲートパーク・シリーズの文庫本はすべて読んでしまった。ハードカバーが2冊出てるので,文庫本になるのを待ちます。