5巻の表紙のプルーストの絵は,孔雀です。
さて,物語は,パリにもどります。第1編の「スワン家のほうへ」では,住んでいた叔母の家から2つの道があって,一つは「スワン家のほうへ」もう一つが「ゲルマントのほうへ」と紹介されてたんで,叔母の家かなと予想していたら,なんとゲルマント家の屋敷内のアパートを借りて住むことになった主人公一家。
そして,「私」は,かなり年上のゲルマント公爵夫人に憧れ,散歩道で行き会うようにするほどのストーカーぶり。。。そういう意味では,恋多き物語です。
物語は劇場での社交界の人々の様子の描写に始まり,読者の僕としては,睡魔とかなり戦いましたね。
後半は,ゲルマント公爵夫人につながるサン・ルーとの話。「私」は,なんとかサン・ルーを通して,ゲルマント公爵夫人に近づこうと画策します。こういうところのプルーストの心情描写が面白い。最後は,サン・ルーとラシェルとの痴話話に巻き込まれる「私」。
この物語の中で,プルーストは様々な思いを記しています。以下の文は睡眠についての記述。
そんなありさまなのに,なくしたものを探すみたいに自分の思考や人格を探したとき,どうしてべつの自我ではなく,ほかでもない自分自身の自我を見つけ出すことができるのか?目覚めてふたたび考えはじめたとき,われわれ内部に体現されるのが,なぜ前の人格とはべつの人格にならないのか?
これ読んでて,空想科学読本を読んだときに,仮面ライダーの変身のことで,昆虫が蛹になって成虫になるとき,いったん体細胞がすべて溶けて再構成されるので,成虫になったときに蛹のときの記憶はなくなるので,変身してしまうと記憶がなくなってるということを思い出しました。。。
