ラテン文学の特徴のひとつとして,マジック・リアリズムがあるようですが,それですね。どこまでが現実で,どこまでが虚実なのか,その境界線が不明です。そもそも境界線が引けるものなのかも,分かりませんが。現実では理解できない出来事が,何かのメタファーのように思えてきてしまいます。。。
「大きな翼のある,ひどく年取った男」では,自分ちの庭に禿鷹のような翼をもった男が倒れてたとか・・・
「奇跡の行商人,善人のブラカマン」では,幻術のようなものをあやつる行商人ブラカマンの弟子になった主人公は,キリストのような治療ができるようになります。この物語を読んでて,物語の設定とか題名なんかから,アラビアン・ナイトの世界を思い出しました。
ただ,ラテン文学を読んでて思うことは,文字だけでは,その情景が正しく頭に浮かんでこないことですね。そういう意味では,プルーストが言うように,自分の記憶の総体からしか理解できないというのは本当なのでしょうね。
開高健の「裸の王様」という作品では,小学生が「裸の王様」の話を聴いて描いた王様というのが,日本の殿様だったというのを思いだしました。
それにしても,この本の表紙はなんでサボテンなんだろう・・・