とうとう手を出してしまいました。先日「百年の孤独」を読んだあと,何かの世界の文学で読んでおきたいランキングを見てたら,1位が「百年の孤独」そして2位がこの「失われた時を求めて」だったんです。ベスト10以内の後の作品は読んでたんで,そうなるとこれを読むしかない・・・という,半泣き状態で読むことにしました。岩波文庫が十四巻で,すべて発刊されてて,光文社古典文庫の方は,まだ全部出てない・・・昔,岩波文庫の「水滸伝」読んでて,最後の方が発刊されてなく,違う出版社で読むということがあったので,ここは岩波文庫にしました。
TUTAYAに買いに行ったら,読書会の店員さんがいて,「失われた時を求めて」を買いに来ました,と言ったら,これは読んだということだけで自慢できますね,と言われました。この方は,8巻くらいで力尽きたそうです。
山岡荘八の徳川家康26巻を半年で読んだ僕です。奮起して買いました。
最初の数ページで,催眠状態に。。。 この物語自体が夢現で始まるのです。
主人公の「私」が,自分の人生を思い返す物語です。
副題の「スワン家のほうへ」というのは,主人公が過ごす叔母の家からスワン家のほうへ行く散歩道を行くことです。

さて,ウィキによると,この本は,
「眠りと覚醒の間の曖昧な夢想状態の感覚、紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味覚から不意に蘇った幼少時代のあざやかな記憶、2つの散歩道の先の2家族との思い出から繰り広げられる挿話と社交界の人間模様、祖母の死、複雑な恋愛心理、芸術をめぐる思索など、難解で重層的なテーマが一人称で語られ、語り手自身の生きた19世紀末からベル・エポック時代のフランス社会の諸相も同時に活写されている作品である」ということです。
本の注釈にも,美術作品の写真まで掲載されてます。

 

小説家のすばらしい発見は,このような心の入り込めない領域を,同量の非物質的な領域に,つまりわれわれの心が吸収できるものに置き舞えることを想いついたところにある

人を愛すると,その人が参画する未知の生活に自分も参入できると想いこむものだ。それこそ恋心の発生に必要ないちばん大事なもので,ほかはすべて軽視してもよい。

人生においてメロドラマの美学に根拠を与えてくれるのは,サディズムぐらいしかない。

完全な悪人が芸術家たりえないのは,悪が外部にあるのではなく,ごく自然に自分に備わっているため,悪と自分自身が区別できないからである。


このような文があちらことらにちりばめられています。
最後の文は,同性愛者が登場してきた場面で書かれており,その快楽とは何かということも書かれてます。プルースト自身も同性愛者だったようです。
ただ,いろいろ書いているプルーストですが,スノビズムについては嫌っていて,作品の中では,そのような人物は悪く書かれてます。したがって,いろんな考えは,彼自身の言葉で書かれてます。
あと,美しいフランスの描写,そして,特に花がよく出てきますね。
この1巻を読んだ感想としては,一通り読んだら,どこから読んでみてみよく,プルーストの考えなりが楽しめると思いました。