ほぼ一気読みに近い状態でした。読み終わったのは,2月1日になった深夜でした。

自我の解放と発展に時代の命令があるのではないのです。時代が必要とし,要求し,やがて手に入れるであろうところのもの,それはテロリズムです。

このように言い放つのは,イエズス会に属するレオ・ナフタ。彼は,親愛なるセテムブリーニの論敵です。
ナフタの主張する中で出てきたのが,キリスト教的共産主義。ひさびさに聞いた。その基本は,勤勉は悪という中世ヨーロッパのカトリックの考え方。商業や利子などは悪。そんなカトリックから勤勉なドイツ人を救ったのは,ルターです。
ナフタの思想の基本は,止揚。ナフタに反するものも,止揚によって最終的にはナフタの主張になっていくのです。こうした力強い思考に,主人公のハンス・カストルプは惹かれていきます。
セテムブリーニは,なんとかハンスを自分の手元におこうとして,ナフタの論争は激しくなっていきます。もう僕ら読者には,簡単には理解できない論争になっていきます。ハンスを弟子にするための相手を否定するための論争です。したがって,セテムブリーニとナフタの論争については,正確に読者が理解する必要はありません。読み流しても正解です。トーマス・マンも,そう考えて書いていたのではないでしょうか。
その証拠に,ハンスは,恋したショーシャ夫人がピーター・ペーペルコルンをつれてもどってくると,彼らの論争は物語から消えていきます。かわりハンスが惹かれていくのは,感情豊かな大物的であるペーペルコルン。しかし,ペーペルコルンは,ハンスがショーシャ夫人を愛していることを聞き,自殺してしまいます。この時のハンスんの心情は,漱石の「こころ」のわたしを思い起こせばいいでしょうか(ふと僕は,そう思ってしまったんです)。
そして,ショーシャ夫人も去ってしまい,ハンスはサナトリウムで無限のような時間を過ごしていきます。ハンスは,降霊術にも無気力的にも携わり,ヨーアヒムの霊を見ます。