この下では、ショパンと彼の愛人であるサンド夫人の別れのいきさつについて書かれている。
その原因とは、サンド夫人の実の娘のソランジュと借金まみれの彫刻家クレサンジュの結婚に原因がある。サンド夫人には、オーギュスティーヌというソランジュより少し年上の養女がいた。サンド夫人は、実の娘と養女を平等に扱ったため、ソランジュは母親とオーギュスティーヌに反感を抱いていた。ショパンは、どちらかというとソランジュの味方であった。そのため、ソランジュをとるかサンド夫人をとるかという決断に対して、ショパンはソランジュをとってしまったのである。このショパン自身の愛情、そのショパンをとりまく状況、特にドラクロワなどの心理描写が、まことにうまく平野さんは、まことにうまく描き切っている。この文庫本では、「荘重な文体が織りなす人間の愛情、芸術的思念、そして哲学的思索。」と紹介している。
いろんな文が心に残ったので、紹介してみます。
ドラクロワは、頬だけを微かに緩ませる程度に笑ってみせた。恋愛の失敗をこんな風に後悔してみせる態度に、彼は何時でも鼻持ちならぬ嫌味を感じて仕方がなかった。そこには、自分の恋情の激しさに対する奇妙な自惚れがあるように思われた。頭では分かっている。けれども、どうしようもないほどに誰かを好きになってしまうのが恋だ。時にはその為に後悔せねばならぬこともある。けれでも、そういう自分を存外愛さぬでもない。そうした情熱に理性で歯止めを掛け得る人間は立派かもしれないが少々哀れだ。歯止めを掛け得るほどの醒めた情熱を以てしか人を愛することが出来ないのだからー彼が心中に認めるのは、こうした類の思い込みであった。彼はそれを莫迦らしいと感じた
運命には常に二つの種類があると彼は考えていた。一つは、あからさまにその正体を示しながら、前から近づいてくるもの。常に未来に存在して我々を脅かし続け、現在に至るや忽ち獰猛な恐ろしい顔つきで襲い掛かって来るもの。今一つは、ただ振り返られた過去にのみ発見され、狡猾にその成り行きを見届け、それが最早取り返しのつかぬ状態になってから漸くゆっくりと姿を現し始めるもの。
そして、姿の見えぬ運命に対してこそ、彼は却って大いに怯えた。
距離というものは、恋愛に於る一種の触媒である。男と女の間に生ずるあらゆる関係を時に応じて迅速に促進する触媒である。情熱的に愛し合う二人は、離れて一層その思いを掻き立てられる。冷めゆく愛情は、急激にその熱を失っていく。
愛情を乞う者は、乞われる者の前では常に弱者か敗者である。
彼女は自分自身の救済の方法を知っていた。油のようにその澱みを燃やし尽くしてしまうこと。火をつけ、焔を上げさせるこの出きるものはただ一つであった。即ち憎しみであった。なるほど、憎しみは何時でも悲しみに沈みそうな人間の最後の生きる術であるかもしれない。それは恐らく、不毛な消尽に駆り立てられながら、無理やりにでもその生きる力を維持させる巧妙な仕組みなのだ。人はそれによって当座の生活の糧を得ることが出来るのであろう。そして、疲労の中で別の新しい生活に手を伸ばす術を覚えるのだ。誰もその果てには浄福を見出さないだろう。それは予め途中で放り捨てられるように作られてある過程の為の昂揚である。
人間は恐らく、人生に二度深く内省するものである。青春の盛りと老境の始まりとの二度に於て。世界を知る直前と知り過ぎた直後との二度に於て。
想像力は、現実に対して常に幻滅の母だ。