「こんなに咲いてた」とお隣から見て気が付く

 

うちの百日紅は自宅居間からはほぼ見えないので、たまにお隣に出向いて振り返ると「こんなに・・」ってなるのね。

まあ、他の生垣もぼうぼうでえらいことになってる。が、当面やる気はない。煮えてしまうわw

 

今週も激暑のギラギラの太陽マークが並ぶ天気予報。 昭和の夏が回帰すると言ったのは誰だ?

こちらの小学校は夏休みになったのかしら?何しろ長野県の夏休みは短い。

でももう都会並みに欲しいよね。最近は夏休み中のプールも無くなったらしいし。(少しうらやましい)

炎天下、子供たちを追い立てながら往復8キロも歩いた時代は遠くになった。

その時ですら暑さで具合の悪くなる保護者や子どももいたけどね。そもそも8キロもよく歩けたよ=自分

30代って若かったなあ(爆)

 

 

少し前になるけれど、Pと何か話していた時に 

「母さんがね、その時もう少し違った考えで(大学に進んでいたら)いたら

それなりに楽しめたことはあったと思うよ。」と発言。

まさかPの口から「たられば」の話が出るとは思わなかったから ちょっとびっくりした。

 

自分で選んだ人生に悔いは無しと豪語しながら、本当のところ、それは長いこと引っ掛かかる事項であったのは確か。

あの時、ああすればよかったのか?とか、こうしておけば良かったのか?とか

そんなこと。思わないわけないじゃんね。

自分の選択を肯定するために、無理やりつけた理由だってある。 

Pがそれを言うことに驚くのは

私がPに「二つの道があるとき、どちらにも魅力があったとしても、同時に二つの道を歩くことは出来ないでしょ」

と言ってたことがあるからで。

まあ、たぶんその時だって、それが自分に言い聞かせていることでもあったんだろうけど。

言わなくてもPは十分そんなことわかってたはずなので。

 

Pの言葉に久しぶりに「ちくり」としたものを感じてみたものの、それでもそれが以前の「ちくり」とは違って

ただただ懐かしい感触に過ぎなかったのは。 

もう「たられば」をいう年代すら通り過ぎたということか。

 

終活で、自分の過去物をどんどん捨てている、

ずっと自分に足りなかったのは「努力」(それと根気)だと思い続けていたけど

案外努力してたじゃないかと いまなら自分を褒めてやる。

若いころはそれが「努力」とは思えなかった。「努力」が人と比べるものであった若いころ

「逃げた」といわれたくない一心で、様々な理由を付けてみたけど

それが「言い訳」でしかないことがまた悔しくて。

 

さまざまなものを片付けながら、

頑張ってるなんて気が付かないくらい頑張ったことが 山ほどあるわw と感心して全部捨てる。

確かに、努力の方向性がちょっと違う・・・と思うことはあるけどね(たくさん)。

Pの指摘はそこにあるのかもね。

でも、私はそれで面白かったんだからそれでいいよ。

やはり、わたしに「たられば」は無い。

こうしてこうなった。

それに満足している 夏の午後の贅沢。

 

採れ過ぎのキュウリを輪切りにして半日ほど干して、醤油・味醂・酢にしょうがを刻んで入れて煮たててから漬ける。

きゅうりの水が出て薄まった煮汁を、再び煮汁だけ煮たててもう一度漬ける。

 

偽きゅうりのキューちゃん完成。 ぽりぽりです。