7月5日から、自分でノートにメモを取り始めた
記録ほどのこともない 本当に ただやったことのみ 時々 落書きの絵とか
腕のほうはとりあえず、折れる心配はなくなった。
だけどね じつは 骨の転移はここだけでなかった
腕が回せないとか、いろいろ言いだした頃、座骨神経痛のような痛みが左の臀部にあって
それがなんだかわからない。
入院間近には 椅子に座ってたり、仰向けに寝てると尾てい骨付近がじんわりと痛む
じっとしてるときに痛むものだから、むしろ腕よりそちらの方が気になっていた
CT撮って、他にも若干弱ってる骨があったが ドクターYも最初は気が付かなくて
わたしが ここ!ここが痛い!といってから見直したら 仙骨尾骨に小さい病変があった
痛みのあるところは 一時的にでも押さえとかないといけないと
それで放射線治療することになった
術後、抗生剤でお腹を壊しw 口腔内も荒れて 味がまったくわからなくなったわたくし
食がみるみる細くなっていった
ドクターYは、外来だけでも激務なのに抱えている患者のすべてを診ているので、誰がどれくらい食べているかさえ把握している
看護師さんに訴えたことは、即 対応してくれる。
味がわからなくなったうえにトーフ続き(アレルギー対応食)で、もう見ることさえ嫌になったわたしが
もう、やだ!こんなんばっかり!! と 看護師さんに愚痴ったら
翌日 管理栄養士の男性がやってきて
「すいませんーーーーー!豆腐ばかりで!」と頭下げたwwww
いや・・・・言ってませんて・・・・・・・いや・・・・少しいいましたけど?・・・・・滝汗
で、食事内容を見直してくれて、アレルギー対応食は普通食に
食べられる分だけということで おかずを半分に減らして(食べきれた満足感も得るために)
夕食に果物、ゼリー、高栄養のスープ(これは昼も)もつけてくれることになった。
あんなにも とーふなんか見たくもねーーー!と騒いでごめん (結局言ってる)
ドクターY はたぶんそういうことも含めてなんだろうけど
一旦退院して、家に帰ることを勧めた
「帰るならここがチャンス 呼吸器科の治療が始まったらまた入院が長くなるだろうから、放射線治療は通院でやればいいよ。 車も自分で運転して! 腕なんか運転できるだけ動かせればいいんだから!!」と
放射線は1日15分くらい、それを10回 家と病院は片道20分程度。
確かに出来なくはない?
そうは言ってもデスネー
腕は1週間拘束されただけで 全くその機能を忘れてしまったようでw
まず、肘で曲げることすらできない
腕を上げるなんて、どうやったらいいのか? 肩のリハビリの理学療法士さん(女性)が手伝ってくれて
やっと、90度あげられる程度なのに
運転とか無理っす (ヘタレ全開)
「だけど、旦那さんだって仕事してるんだし 毎日なんか送ってられないでしょ?
それに、今のうちに体力付けておかないと!
大体さー くまたろうさんなんか 糖尿でもなんでもないんだから 売店でも行って好きなもん買ってきて、好きな時に食べればいいんだよ!!!」
だんだん、ドクターYのいい方もきつくなってくるw
そして「それに・・ 家で旦那さんの顔見たほうがいいじゃん・・・・」と 弱気な声で
ん? あれ? そこ 先生の私情挟んでない?
前、なにげに言ったよね?
「ボクだって 妻がそんなことになったらショックだと思うし・・・・」って
ちっ
男ってやつは・・・・!
ないです! ときっぱり
「なんで?」っていうから
身内に弱みは見せたくないんで!
と言いきってやった。
しばし、双方沈黙
たぶん、ドクターの嫁だってそう言うわ!
世の妻は 夫より強いんだぞ!!!!
これは心の声で言う
新型感染症などが流行らなければ 外泊という手立てがあったのだ
それが、できなくなった
面会と同じに、 外泊も外出すらもできないのだ
家に帰るには、いったん退院して再入院の手続きをとるほかない。
病室の窓から 家は見える場所にある
たったあれだけの距離
たったあれだけの距離なのに 帰ることができないなんて!!!
いろいろ考えて、金曜日から日曜夜にかけて家に帰るということはできないかと看護師さんに相談したら
事務手続きの方から それはできないと返事をもらった
最低でも一週間あけないと再入院の手続きがとれないのでダメなんだそうだ
それは、この感染症が流行る以前からの そういう決まりごとがあるのだと
なんてこった・・・
あきらめるしかない