少年少女と名前の話 | 熊の居所

少年少女と名前の話


―少年少女と名前の話―



「和輝ってさぁ、昔はアタシの事名字じゃなくて名前で呼んでたよね」
 鳩がふと思い出したように話す。
「……は?」
 あまりに突然だった鳩の話に、和輝は思わず首を傾げる。
「いや、昔はアタシの事、風崎じゃなくて鳩って呼んでたよねーって」
「……何年前の話だよ」
 呆れる和輝を見て、鳩が笑う。
「いいじゃん。昔の話も」


 風崎鳩と倉山和輝は、生まれた時から知り合いのような関係であった。
 同い年で家もすぐそば。家族ぐるみで付き合うのは目に見えていたようなものだ。
 2人は幼稚園に入る前からよく遊んでいた。
 勿論その後幼稚園に入園してからも。小学生の時もずっと。
 ただ、家庭の事情からか、それともそうなるべきであったのかは分からないが、和輝の方が鳩の事を少しずつ「友達」でなく、「クラスメート」として意識するようになっていき、小学校を卒業する頃には2人共別々の友達を一緒にいるようになり、話す機会も次第に減っていった。
 今こうして2人が話しているのも、和輝の兄の和也が、久しぶりに倉山家の夕食に鳩を誘ったからである。


 すでに夕食は終わっており、和也は部屋で何やらよく分からない研究に没頭し始め、彼の母親は上の階で家事か何かをしているようだった。
 ただ和也の提案(粋な計らいのつもりらしい)により、鳩は夕食を終えても暫く倉山家でのんびりしていく事にしたらしい。
 鳩と和輝は、1階のリビングにあるテーブルにて、向かい合って雑談していた。
 そして話題が無くなった頃に、鳩が急に昔話をしだしたのである。
「そういえばさ、何で和輝はアタシの事名字で呼ぶようになったの?」
 鳩は話を続ける。彼女は久しぶりの2人での雑談が嬉しかったのか妙に楽しそうだ。
「普通さ、クラスの女子を名前で呼ぶ男子がいるかっつーの」
「あ、確かに言われてみれば。普通は名字で呼び合うよね」
 和輝は相変わらず呆れているが、鳩は少しずつ楽しそうな雰囲気を増していく。
 そんな彼女を見て、和輝は内心嬉しくもあった。
 だがそこで、和輝は1つの事を思い出す。
「あれ……。そういえば風崎、お前野田とか桑原の事は名字で呼んでるよな」
 普段の学校での鳩の様子を思い出し、和輝は疑問の声を上げる。
 彼女は、自分以外の男子の事は名字で呼んでいるのだ。
 では何故自分だけが名前で呼ばれるのだろうか……?
「あー、だって今更和輝の事は倉山ーって呼べないもん」
 鳩の返答が、自分の期待していたものと違い、和輝は落胆する。
 確かに当たり前の事なのだが、少しだけ期待してしまったのだ。
 彼女にとって、自分が特別な存在である事を。


 正直和輝も、鳩の事は名字で呼ぶよりも名前で呼ぶほうが馴染んでいる。
 でも、恥ずかしくて。
 誰かに彼女の事を特別視しているのが分かってしまうのが怖くて。
 何より彼女に気付かれるような気がして。
 いつの間にか、鳩の事を名字で呼ぶようになっていたのだ。


「あー、もうこんな時間。アタシ帰るね」
 壁にかけてある時計を見て、鳩は立ち上がる。
「おばさんも和也も忙しいみたいね。とりあえずよろしく言っといて。ご飯美味しかった」
「おう」
 笑顔で玄関へ向かう鳩を、和輝は椅子から立つ事も無く素っ気無い態度で見送る。
 ただ。今なら許される気がした。
「じゃーね、和輝」
 久しぶりに、その言葉を使う事が許された気がしたから。
「じゃーな、鳩」
 思わず口に出したその言葉を聞き、鳩は少し驚いたが、次にはとびきりの笑顔を和輝に送った。