食品工場のパートになって、派遣時代のメンバーも半分以上減り、新たなパートさんが入ってきました。

私の働く製造ラインも、以前のメンバーより新たなメンバーの方が多く、慣れないながらもそれなりに楽しく働いていました。私は仕事内容が全く変わらないので、自分のやるべき事をやればいいと思っていました。

派遣時代、最初は人数が多かったのですが、どんどん人が減って行きました。減っても減った人数でこなせた仕事だったので、増やしはしませんでした。

ところが最後の片付けと翌日の準備が、2人から1人に減り、時間的に厳しくなりました。特に週末の金曜日は機械の清掃も入るので、時間がかかりました。

見かねた社員さんが、手の空いた男性派遣さんに声を掛けてくれて、時間内に終わらない分は引き継いでくれる事になりました。

パートになって3ヶ月目。生産量を増やす事になり、遅番のスタッフを増やす事になりました。パートではなく、期間社員として入ってきました。その人達に最後の片付けをやってもらうので、教える事になりました。

私が片付けを担当していた作業を遅番で担当する事になったのは、私より年上の女性Yさんでした。

Yさんを含め遅番担当として入って来たメンバーの半数が、担当する作業が上手く出来ず、あちこち交替しています。

ある時ミスを指摘したところ
「この作業はやりたくない。他と変えてくれ」
と言われてしまいました。私の一存で決めれる事ではないため、同じラインの同期に相談しました。そして同期からYさんに話をしてもらい、他に変えれる作業がないためこのまま同じ片付け担当してもらう事を伝えてくれました。

しかしそこから私とYさんとで溝ができました。仲の良いパートに愚痴ったところ、仲の良いパートのTさんは
「私は新人の頃先輩に優しく教えてもらったし、私は後輩の味方でいたい」
と言われ、仲の良いパートとも溝が出来てしまいました。

遅番スタッフとの交替勤務は3ヶ月程で終わりました。遅番で入ったスタッフは他の製造ラインに異動したり、1人だけ残りました。

遅番がいなくなり、再び私が片付けもやる事になりました。この頃は片付けが終わらないと手伝ってくれていた男性派遣がいなくなりました。

代わりに遅番スタッフから1人残った期間社員Kさんが8時間勤務なので、代わりに引き継いでもらおうと思い声を掛けました。

しかしそこにYさんが
「サーモンさんの仕事なんだから、サーモンさんがやるべき。他の人に頼むのはおかしい」
と言い出しました。
頼まれたKさんもKさんで
「分からないんで」
と言う人です。
「教えるから」
と言ったのに、簡単に教えて
「分からんかったら他の男性に聞いて」
と言ったのに、やってくれませんでした。
きっとYさんから
「やらなくていい」
と言われたのかもしれません。

翌日何故やらなかったのか聞いたところ、Yさんが
「だって元々Kさんの仕事じゃないもん。Kさんは何も悪くない」

その事もパートのTさんに相談したところ
「昼休み早く戻って来てやったらはてなマーク
と言われる始末。

翌日の準備ならまだしも、片付けは生産が終わってからの機械の掃除になるので、生産が終わらないと出来ません。特に週末の金曜は大掃除になるので、時間がかかります。パートの勤務時間に合わせて終われるように生産数を決めているので、1人期間社員の女性Kさんは、パートが帰った後2時間はほぼ雑用をしています。なんなら機械トラブルで生産終わるのがギリギリになり、他のパートも片付けが終わらない時は、Kさんが1人で他のパートの分の片付けもやっています。

だからこそKさんに頼みたかったのに、仲の良かったパートのTさんにまで
「サーモンさんの仕事はサーモンさんでやるしかない」
と言われてしまい、時間内に終わらない日々が続きました。だからと言って、残業が付くわけではありません。

毎日朝礼と終礼があり、終礼の時に集まっていないメンバーがいれば、他のメンバーが呼びに行きます。手が空けば、まだ終われていない人を手伝いに行きます。

ところが私は皆んなと上手くいかず、私からも「手伝って」と頼む事が出来ず、誰からも手伝ってもらえませんでした。終礼に参加出来なくても、誰も呼びに来ることはなく、みんな帰って行くのを遠巻きに見ながら仕事をしていました。

「先に帰るね」
と言いに来る人もおらず、私の事は誰も気にも止めません。

社員さんが気付いたら
「もうみんな帰ってるから帰りや」
と言われるのですが、まだ片付けや翌日の準備が終わっていない為、帰れません。

Kさんに手伝ってほしいのに、社員にも相談出来ずに抱え込んでしまいました。

パートになってからも仲良くお昼を食べていたメンバーも、気付けば離れていってしまい、孤立してしまいました。

まだ喋る人もいたにはいたのですが、人間関係、仕事が時間内に終えられない事で悩んで、このまま続けていても辛いだけだと思い、1年で辞める事にしました。

医療事務の資格を取って、医療事務として働く事も考えていましたが、食品工場の仕事は派遣時代楽しかったので、パートでも数年働いてもいいかなと最初は思っていましたが、色々しんどくなってからは、医療事務の資格が取れたら辞めようと決意しました。

この頃は過敏性大腸炎になり、毎日の様にお腹を壊していました。