天国から地獄へ
成人式の後、中学時代の友達Tちゃんとランチを食べて、夜は父と妹と3人で居酒屋に行ってお祝いをしてもらい、最高の気分でした。
しかしその居酒屋で、内定をもらった会社の話になり、大反対されお断りする事にしました。
せっかく楽しい気分だったのに、一気に地獄に突き落とされた感じです。
その後派遣会社の社員の内定をもらい、なんとか一安心かと思いきや、全国転勤の可能性があると話をすると、またしても反対されました。
私が実家を出て一人暮らしをする事に反対したのです。
仕方なくこちらの内定も断りました。もう卒業間近だったので、これから就活をする事を諦め、卒業後はフリーターになる事にしました。
短大の卒業式も、両親は来ませんでした。家から遠いからです。
私はスーツで出席しましたが、袴を着ている人が多く、私も袴を着たかったなと後悔しました。妹は袴をレンタルしました。
Pちゃんは無事に看護学校に合格し、卒業後は看護学校に進学します。
私は出会いカフェに行くのをやめてから、日雇い派遣でちょこちょこ仕事していたので、卒業後も日雇い派遣をする事にしました。
これまでの経験から接客業は苦手だし、バイトの面接に何度も落ちた経験から、日雇い派遣の方が楽だと思いました。
入学後から後悔した学校生活ですが、Pちゃんと楽しく過ごせて、2年でのゼミも楽しく、なんだかんだ楽しい学校生活でした。
しかし残念ながら、一部の女子からすれ違うときに「キモ」と言われてしまい、私は何処に行っても嫌われてしまう運命なのかと落ち込みました。毎日顔を合わせる訳ではないし、ゼミも別だったので、高校時代と比べたら遥かにマシだったけど、それでもその人とすれ違う時に言われるやろなって思ったら、すれ違う時距離をとっていました。必須の授業だと顔を合わせるので、離れた席に座りました。
偏差値の低い学校だったから、真面目な生徒はほとんどいなくて、授業中もお喋りしたり、携帯いじったり、なんならお菓子食べたり、寝てる子もいました。注意する先生もいるけど、手に負えない感じでした。
私は真面目に聞いてノートを取ってたけど、5回以上休むと単位取れないから、逆に4回までは休めるなら休もうと、時々学校サボってました特に体育は、前期がバトミントンで、後期はテニスで、球技は苦手なので、テニスの練習中に先生から
「こんなんじゃ試合できませんよ」
と言われた為、試合全て欠席していました。バトミントンも試合は全て欠席していました。
中には5回以上休んで、試験受けられない人として名前貼り出されている人が何人もいましたが、頼めば試験受けさせてくれる先生もいると言っていました。
なんだかんだで、学生生活は楽しかったです。
卒業後直ぐ、Pちゃんにメールを送ったけど、返ってきませんでした。看護学校に入学して、学校生活どんなのかなと気になって、しばらくして何通か送ってみたけど、全く返ってこなくて諦めました。エラーではないので、アドレスは変わってないはずです。
恐らくですが、Pちゃんは完全に私との仲は学校内だけで、卒業後は私とは縁を切るつもりだったんだなと。短大時代も学校以外で遊びに行くとか、ご飯食べに行く事はありませんでした。Pちゃんが看護学校受験する為に予備校に通っていたし、短大卒業後は浪人する事なく現役で看護学校に合格しないといけないと言っていたので、私は気を遣って誘えませんでした。
受験に合格し、学校が始まるまでの春休みとかで、一緒に遊べたらなと思っていただけに、残念でした。
そんなこんなで短大時代の話は終わります。
次回からは社会人編に入ります。
社会人編からは、ブログの記事タイトルに場面緘黙症を入れない事にしました。
社会人編では、社会人になって出来た友達と、遊びに行ったり、飲みに出かけたり、旅行に行ったりと、みんなと同じようにプライベートを楽しみつつ、フリーターとして働きます。
楽しい事ばかりではなく、私の性格上人間関係で苦労したり、仕事が上手くいかなったりと、悩む事も多々あります。
そんな社会人編も、引き続き読んで頂けると嬉しいです。