初めまして


私は幼稚園〜小学校卒業まで、場面緘黙症でした。

場面緘黙症とは、特定の場所では話せなくなる事です。話せるなら話したいのに、どうしても声を出せなくなります。
家では普通に話せるし、家族とコミュニケーションを取れるので、声自体出ない訳ではありません。

私の場合、幼稚園や学校、習い事のスイミングなど大勢人が居る場所では話せませんでした。
学校の人気のない場所で、1:1なら話せるかと言うと、場所自体がダメで話せませんでした。

一方で仲良い友達とは、学校以外の場所では普通に話せていました。

話せるのに特定の場所では一切話さない私。当時40年近く前は、まだ場面緘黙症を理解してくれる人は少なく
「家では喋れるのに何で学校では喋らないのはてなマーク
と家族から責められ、苦しい思いもしてきました。

そんな私の話をこれから少しずつ書いていきます。


 幼稚園入園


私には3つ下の妹がいます。妹が産まれて直ぐ、母は妹のお世話で手一杯だからと、私を幼稚園に入れる事にしました。

当時公立の幼稚園は2年制で4歳からしか入る事が出来なかった為、私は3歳から入園出来る家の近くの私立の幼稚園に入園にしました。

入園初日から喋れなかったのかはてなマークいつから喋らなくなったのか、ハッキリと覚えていません。
私が幼稚園で覚えている古い記憶は、幼稚園の先生数名から
「何で喋らないのムキー喋りなさい」
と怒られた記憶。

周りのクラスメイト皆んな普通に喋っている中、1人一言も喋らない私は変だと理解していたけど、どうしても喋れなかったのです。

「どうしても喋らないなら、口をホッチキスで閉じるよ」
とまで言われ、当時は本当にホッチキスで口を閉じられてしまうと怖くなりました。

喋らないから怒られた恐怖心により、私は幼稚園に行きたくなくなります。
母にも幼稚園の先生から私が喋らない事は伝わっており、当時は毎日のように
「今日は喋ったはてなマーク
と聞かれていました。
いつまで経っても喋らない私に、母は悩んだり、イライラしたりしていたと思います。

私は毎朝「幼稚園に行きたくない」と駄々を捏ねていましたが、無理やり連れて行かれてました。

最初は先生に喋らない事で怒られていましたが、少し経って先生は諦めたようでした。

母からは
「みんな喋ってるやろ。喋らんと友達と仲良く遊べへんよ。友達出来ないよ」
と言われていた通り、喋らない私は誰とも仲良く遊ぶ事が出来ず、友達は1人も出来ませんでした。

みんな私とは関わりたくないと思っていただろうし、先生も私に愛想つかしたのか、必要最低限の関わりしかありませんでした。