からまった糸をそのままにして、からまったところから遠く離れたところでスムーズに作業する。
糸であればそれで解決していくが、人間関係のからまりはそのまま時間を経過させても解決しない。
むしろ時間が経てば経つほど、硬くなっていく、ただからまった場所に戻れば意外とすぐにほどけることもある。
からまった糸をそのままにして、からまったところから遠く離れたところでスムーズに作業する。
糸であればそれで解決していくが、人間関係のからまりはそのまま時間を経過させても解決しない。
むしろ時間が経てば経つほど、硬くなっていく、ただからまった場所に戻れば意外とすぐにほどけることもある。
親しい人を亡くし、自分の無力さをまた改めて思い知った。
今の時代、そして今の日本を心配し憂鬱な人は多いことだろう。
しかし、昔に比べ人の生き死にを遠くに感じる日常のある現代は、間違いなく幸せであるが、
一方で夫や妻、そして子、孫など本当に近く大きな存在を亡くした人々の心を救えない政治は無力だ。
地元の仲間という存在は、お互いに違う所を持ち合っているが、嫉妬やねたみがない。
仕事をしてから出会った仲間や上司、部下なども同じように違うところを持ち合っている。
しかし、決定的な違いは、その差異を違いとして捉えるか、優劣として捉えるかである。
家に置いていけるものはどんどん増やしてもかまわない。
それは目に見えるし、捨てる子も簡単だから。
家に置いていけない心の荷物は捨てられないから、向き合うしかない。
申し訳ない気持ちから出た言葉だった・・・「1メーターですいません。」
しかし、そのタクシー運転手さんはこう返した・・・
「いやいや短い距離の後に、長距離のお客さんになることがよくあるんですよ。」
ほんとうか嘘かはわからないが、
1メーターのお客の気分がよくなる運転手には長距離のお客さんがつく気がする。