無口な家庭なのでね。
出かけると、車の中とか食事をしながらとか。
思っていることが、チラッと見えることが。
そういうの、大切に見逃さないように気をつけています。
無口な人の取り扱いに慣れていないので、言外が読み取れない。
先回りして考えすぎたりする。
早く取説作れるようになりたい。(笑)
洗濯を畳んでいると一緒にやります。
(自主的にひとりではしない)
ハンガーから外したものを置いておくと、テレビを見ながら畳むことも数回。
(頭の上に洗濯物が下がっていても外すことはしない)
でもね。
畳むものを選ぶし、一人で全部はできない。
ナゼ?と疑問でした。
あとちょっとなのに、なんで全部やらないの?
なんで残すの?
やり方がわからないんだそうです。
要するに、やったことがないってこと。
だったら適当に畳んで置けばいいのに、と思うけど。
違うことをやりたくない。
だからやらない、という発想。
まず。
できない、という事実にびっくり。
生活に必須のルールではなかったということですね。
子どもと比較するのは違うかもしれないけど・・・
うちの子ども達は、手伝いをしないという選択肢がなかった。
洗濯物はきっちりと全部畳んで、しまえるものはしまう。
それって、わたしがやるのを見て覚えたんだ。
今さら気がつく。
わたしがやる通りに、同じ大きさに畳み揃える。
教えたことはないかな。
くまさんのお母さんは、なんでもやってくれる人だったのかな。
その作業は省略する人だったのな。
それぞれの家庭のことなので、何が正しいということではない。
独り暮らし歴10年超。
学習する気があればいつでもできたはずだしね。
わたしと生活しなければ、一生必要としなかったんでしょう。
今はね。
タオルとか、考えてわかるものは畳む。
シャツや靴下はそれなり。
畳んでしまってあるものを見て学習したように思える。
だから、違和感なくわたしに合わせてる。
畳み方が違ったら、合わせないといけないのね。
そんなことも考えたことなかった。
自分優先で、勝手にやってた。
誰かと暮らすって面白い。
日々発見。
洗濯物の畳み方、教えた方がいいのか。
残りも見て覚えるのを待つ、というのもあり。
ちょっと考えます。