できない理由 | くまりんの毎日 

くまりんの毎日 

のんびりゆったり三食昼寝つき生活が夢です
実際はフルタイムで子育てをして、走り続けてきました
やっと一息
これから、自分らしく生きることを考えています 

普段はあまり話をしないのですが。
無口な家庭なのでね。

出かけると、車の中とか食事をしながらとか。
思っていることが、チラッと見えることが。

そういうの、大切に見逃さないように気をつけています。
無口な人の取り扱いに慣れていないので、言外が読み取れない。
先回りして考えすぎたりする。

早く取説作れるようになりたい。(笑)


洗濯を畳んでいると一緒にやります。
(自主的にひとりではしない)
ハンガーから外したものを置いておくと、テレビを見ながら畳むことも数回。
(頭の上に洗濯物が下がっていても外すことはしない)

でもね。
畳むものを選ぶし、一人で全部はできない。

ナゼ?と疑問でした。
あとちょっとなのに、なんで全部やらないの?
なんで残すの?


やり方がわからないんだそうです。
要するに、やったことがないってこと。

だったら適当に畳んで置けばいいのに、と思うけど。
違うことをやりたくない。
だからやらない、という発想。


まず。
できない、という事実にびっくり。
生活に必須のルールではなかったということですね。

子どもと比較するのは違うかもしれないけど・・・
うちの子ども達は、手伝いをしないという選択肢がなかった。
洗濯物はきっちりと全部畳んで、しまえるものはしまう。

それって、わたしがやるのを見て覚えたんだ。
今さら気がつく。
わたしがやる通りに、同じ大きさに畳み揃える。
教えたことはないかな。


くまさんのお母さんは、なんでもやってくれる人だったのかな。
その作業は省略する人だったのな。
それぞれの家庭のことなので、何が正しいということではない。
独り暮らし歴10年超。
学習する気があればいつでもできたはずだしね。
わたしと生活しなければ、一生必要としなかったんでしょう。


今はね。
タオルとか、考えてわかるものは畳む。
シャツや靴下はそれなり。
畳んでしまってあるものを見て学習したように思える。
だから、違和感なくわたしに合わせてる。

畳み方が違ったら、合わせないといけないのね。
そんなことも考えたことなかった。
自分優先で、勝手にやってた。

誰かと暮らすって面白い。
日々発見。


洗濯物の畳み方、教えた方がいいのか。
残りも見て覚えるのを待つ、というのもあり。
ちょっと考えます。

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