沖縄と湘南 | 気まぐれ備忘ログ「ジジイ放談」 

沖縄と湘南

波の上ビーチに久しぶりに行ってきました、
ココは旭橋から歩いても良いし、タクシーでも初乗りぐらい。

チョット、本土のビーチと違うところは・・・

・バーベキューはオーケー、でも花火は禁止(本土は逆が多い)

・スピーカーから変なJpopとかが流れていない(笑)

・そばに神社があるのは類似点(江ノ島は弁天様、波の上ビーチは波上宮)

あと、すぐ裏手は辻の怪しいホテル街・・・・
コレは湘南の国道134号線(半世紀前前から住んでる人には
「遊歩道路」という名称が馴染み深いかも)沿いも同じか・・・ww


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ということで・・・・

何度も通うようになって、実は沖縄と湘南の類似点に幾つか気づきました。

・暖かい地域のため、一般的にのんびりした気質であること
 でも、プライドの高さというかが感じられるのも似てます。

・医療面とか充実してること、で税金が高いのも似てるとかww
 徳洲会が湘南に多いのも何かの縁・・?

・何をやって生活してるのか解らない人が多いことww
 コレは、ホントにそう思う、でもそれを聞かないのがイイところww
 当然リタイヤ組が多いのも似てます。そろそろ私も予備軍(笑)

・米軍機が始終上空を飛んでること

 実は、横須賀に空母が来ると、厚木方面との間での
 夜間発着訓練の爆音も凄まじいのです。
 ウチの隣の丁目までが「防音サッシ」の補助金が自治体から
 出るんですがウチの丁目は出ないww
 まぁ、沖縄のラプターの騒音は物凄いけど・・・
 他府県の人はビックリするらしいけど
 さして、那覇を歩いていて騒音に気に止めたこともなく・・・

・「沖縄」「湘南」どちらも地域ブランドらしいですが、
 それを声高に主張する人ほど、
 外から流入した人だということ、地元民はそんなこと無関心。


ということで、湘南地域の人との遭遇率が異常に高い沖縄です。

先日も、カウンターで隣に座っていた人が
「藤沢駅、南口の不二家のペコちゃんがさぁ~」って話していて
度肝を抜かれました
(因みに今はミスドになってますけどww)

私がよくお邪魔する、隠れ家的なお店も湘南方面の方々が
お客様には多い様子、江ノ電のミニチュアなんか置いてあったりww


沖縄で、めったに湘南ネタは語れませんね。


でも、その湘南も、さらに類似点なんていう話も、
ある意味で、沖縄あってのことだということを最近知りました。





話は、太平洋戦争の時期に遡りますが。

1946年3月1日が予定されていた、
米軍のコロネット作戦というものがあります。

なかなか降伏しない日本に対して、米軍は計画では湘南海岸
(平塚、馬入川というか相模川付近)に30万人、
九十九里海岸に24万人、予備兵力合わせて
107万人の兵士と1,900機の航空機という
ノルマンディー上陸作戦をはるかに凌ぐ規模の
兵力が投入される予定だったそうで、
そこには化学兵器の使用も検討していたとか。

その前に1945年11月1日が予定されていた、
九州の航空拠点確保のための
オリンピック作戦というのもありますが、
これは海上部隊は空前の規模で、空母42隻を始め、
戦艦24隻、400隻以上の駆逐艦が投入される予定だったと言います。

日本軍空母はミッドウエイでほぼ壊滅し、
この時期には、数隻もなかったかと思います。
飛行機も、骨組みを竹とか木材で作ったものもあった程。

結局、ルーズベルト大統領の死去、
その後のトルーマン大統領の本土上陸から
原爆投下へのシフトなどで
両作戦とも(両方合わせてダウンフォール作戦という)
中止となります。

その本土上陸を躊躇う理由として
沖縄が3週間で陥落するはずが、
3ヶ月も要し、多くの犠牲を払ったこと、
これも見逃せない大きな要因なのです。

1945年当時、私の両親は既に東京から、
まだお互いに結婚はしていませんでしたが
それぞれの家族と一緒に湘南へ疎開していましたから
このコロネット作戦が、もしも実行されていたら、
両親はもとより私も存在していないわけで・・・。

ミズーリ号での降伏文書調印の日、
母が相模湾に見に行ったところ湾を埋め尽くす艦艇の数。
それも、横向きでなく、縦向きで埋め尽くされていたのを見て、
この時期に、これだけの兵装を温存していたとは・・・と。
とんでもない国と戦争をしていたものだと悟ったと言っていました。

日本軍は、敗戦までは湘南海岸を
東北出身者で構成された部隊が守備していて
母親も良く遊んで貰ったようですが
海岸べりに軽機関銃設置していた程度でしたから・・。



広島、長崎は勿論、沖縄にも足を向けて寝ることが出来ない理由であります。




波の上ビーチからの帰り際、ゆんたくしてるかと思ったオバァ二人が突然
「オンナ、いらんかねぇ~」って、遣手婆(やりてばばぁ)じゃん・・・・(笑)
でも、その雰囲気がなんともウチナー風でユーモラスでしたねぇ(笑)

その地の歴史を知らずして、旅するべからず・・
割と私のモットーで御座います。