2015/3/20日  宇津峠・三島道
  
 米沢と越後を結ぶ十三峠の中で、宇津峠は一番険しい峠と言われている。
時代の流れと共に道が改良されて今、道跡を辿れるのは現国道を入れると5本のルートが有る。
1 時代不明・・・・明治11年(1878) にイザベラバードが峠越えした歩道
2 明治17年(1884)・・・小国新道(通称:三島道)荷車道
3 明治27年(1894)・・・北の宇津峠。宇津峠初の車道    ※輸送は荷車~馬車(1892~)~車へ
4 昭和42年(1967)・・・旧国道113号・宇津トンネル(長さ:949m、標高:350m)
5 平成6年・(1996)・・・現国道113号・新宇津トンネル(長さ:1335m) 

※宇津峠歩こう会イベントでは、1の道と3の道を半々位の距離を歩いている。
   更に地元の長老(長老の方も先祖から聞いた)から聞いた話によると、昔の宇津峠は
  米沢(上杉城下)~川西町玉庭~赤岩峠~嬉ケ沢~東峠~落合集落~濁沢~宇津稜線~
  清明~出ケ峰~白子沢ルートだったそうだ。
  
※鉄道は昭和11年(1936) JR米坂線全線開通

 さて、宇津峠古道歩きもこの春で残りの課題対応したいと思い、探訪実績を整理してみた。
表記の2年前探訪が記録に残しておらず、遅ればせながら今回記録まとめをやった。

 三島道は里から山に入るが大きな沢は、手前から濁沢、一の沢、二の沢、三の沢、無名沢(どんぶらに落ちる沢)を5本横切る。

 前段長くなったがここから記録本題に入る。
まず車から旧113号線を歩く。
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宇津峠歩道(1の道)登り口に建つ地蔵様。手を合わせて山に入る。
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濁沢・・・里から来た道が最初の沢に出る。道は左岸(右から左に)から横切り、山に上がる。
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 この沢からのルートは把握して無いので、道跡が明確で既に現場を把握している、二の沢上部に
進む。ここは『たかどや山』に高圧線鉄塔が有るので、三の沢まで林道が有る。

宇津峠東面・・・三島道(2の道)はこの急峻な斜面を横切る。右の杉頭上辺りを左右に水平道
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沢筋の底ナダレ
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二の沢・・・林道から右岸斜面を登り三島道に取りつく。
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町境稜線に建つ電波塔・・・三島道は大きな沢5本を横切るが、写真のような地形・ナダレで沢付近は道が破壊している。
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標高約400mの三島道に上がってきた。
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三の沢源流を横切る道跡
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これでは毎年、いくら道普請してもナダレで壊される。
なのでこの道は短命でルートは、北の宇津峠に変えられた。
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前方に宇津稜線を越す高圧線鉄塔が見える。
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  ここから道跡を探しながら里の方向に戻る。
道跡
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二の沢を横切る所も破壊されて分からない。道は前方右の杉林に続くのだが。
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二の沢ノナダレ地を避けて、安全な下流を横切る。
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道跡に出た。
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ここまで杉林のようだ。
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一の沢・・・もっと雪が消えないと道跡は分からない。
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一の沢を過ぎると平地状になり道跡・ルートが分かりにくい。ここは残雪が少ない時だな。
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ここだろうな?。
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この電気は宇津稜線に建つ電波塔に供給される。
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道跡と思う?
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  この先で道跡は分からなくなり、濁沢の林道に下った。

濁沢・・・中央に旧113号線・宇津トンネルが見える。
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旧宇津トンネルと山の中腹を横切る、明治27年開通の初代国道(車道)が見える。
 ここもナダレ地帯で『大比戸』の地名。
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 過去(西方面 2011/5/17、東方面 2014/11/30)と今回の東方面探訪で、大分把握出来た。
残るは、一の沢~濁沢~精錬所跡のルートとなった。次回はもっと残雪少なくなった時期だな。

過去の記録
●西方面へ  2011/5/17
●西方面へ  2016/5/30  藪深くて難儀した。
●北方面 へ 2014/11/30

関連 ●二の沢右岸尾根~宇津稜線~宇津峠~歩道(イザベラ)周回   2013/3/7
http://blogs.yahoo.co.jp/okusan2005/archive/2013/3/8

  おわり