着ぐるみクマの巣
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やる気 根気

とにかく、根気が続かない。
やさぐれたい気持ちだけがグルグル廻っている。

パッと何かが頭の中で浮かぶときもあるのだが、それが持続しない。
バッテリーの切れたエンジンのようだ。
キーを廻した瞬間だけ、セルモーターが回る。

何となく、もうダメだ、という予感もするのだが、
その隣で、まだまだ、という声も聞こえる。

しばらくぬるま湯に浸りきって、流れに身を任せたい。

きづかい つきあい ふれあい

人との微妙な気遣いをやめたい。

思いきり嫌なものは嫌だと言ってみたい。

人とのつきあいを無くすのは難しいことじゃない。

人とのつきあいを深めるのも難しいことじゃない。

言葉 言葉 言葉

言葉は、人の胸のうちを表現するもの。

人の胸のうちを現すのに、言葉だけじゃ足りない、と言われるがどうなのだろう。

そんなことは無い、と思いたい。

音楽 BGM

最近、音楽を聴かなくなった。
時間の余裕が無くなったのか、面倒くさいのか。
CDウォークマンを持ち歩くこともなくなった。
持ち運びが面倒になったこともあるのだが、かといって今iPodを購入したとしても、聴くことはないだろう。

ここ最近のお気に入りだった音楽は、インストルメンタル系、もしくは海外のポップス。
日本の歌手の曲はほとんど聞くことはなかった。
日本語の歌詞が入ると、イメージが限定されてしまって、BGMとしては邪魔なのだ。

怪談 恐い話 ホラー

子供の頃、怖い話が大嫌いだった。
今もあまり得意とはいえないが、これまでの経験によるものか、鈍感になってきたものか、
さほど怖い話に対して苦手意識は無くなってきている。

昔は、夜が恐かった。
夜、電灯の明かりが届かないところに何かが隠れているようで、
締め切った部屋の扉の向こうに何かが待ち伏せしているようで、
いちいち音を立てたり、声を出したりしないと一人では動けなかった。

自分が子供の頃、各家庭に電灯が普及していたとはいえ、まだ外は暗かった。
家の近所には、田んぼや畑があり、大きな空き地もあちこちにあった。
街灯も道路の周辺の必要最低限度の箇所にしか設置されていなかった。
灯りのないところは、本当に暗かった。
暗いところは何も見えず、世界を何も知らない自分は、
その見えないところに自分の知らない何かが存在しているように感じていた。

「未知なるものへの恐怖」というものがあるが、これに対するひとつの考え方として、
自分の理解が及ばないものに対して、理解が及ばないからこそ、より訳の解らない過大な想像をしてしまう、
ということもあるのではないだろうか。

現在、経験を重ねて、今の自分がいる。
今でも、初めて経験することはいろいろあるのだが、子供の頃に比べて、驚きが小さいものになっている。
知識・経験を積んでいくうちに、その知識・経験に基づいて、自分の想像力の範囲内に収まるものに小さくしているようだ。

それは、「大人の智恵」というか、生きていくうえで必要なものだと思うのだが、
子供の頃の大きな驚き・恐怖感を感じてみたい、とも思うのだ。

映画 続編 パロディ

今、スターウォーズ・エピソード3が話題になってますね。
個人的な意見なんですが、「エピソード3」という言い方、なんとなくピンと来ないんですよね。

自分的には、
スターウォーズ1といえば、1977年公開のものですし、(「新たなる希望」という副題もちょっと納得いきません)
スターウォーズ2といえば、「帝国の逆襲」、
スターウォーズ3といえば、「ジェダイの復讐」なのです。
んでもって、その3作品で完結している映画なんですよね。

そもそもダースベイダーは、自分の中では、登場してきた時点から圧倒的な悪役として存在しているんです。
それなのに、いまさら過去に遡って、それも映画3本分も使って、これこれこういう理由で悪役になりました、
などというのを見せられるというのは、ちょっとおこがましいと思ってしまうのです。
とはいいつつ、「ファントム・メナス」も「クローンの攻撃」もしっかり映画館で観ているんですが。

裏事情、裏設定といわれるものを膨らませて、ひとつの物語を作る。
パロディ・パスティッシュといわれる手法の一つです。
これを別に悪いというつもりはありません。
自分自身もパロディは大好きですし、そういう物語を作り上げるのも大変なのだと思います。

ただ、これも一つの表現方法だと思うのですが、世界的に上映される映画としてはどうなのでしょう。
また3作品6時間以上にかけずとも、充分1作品2時間ほどで出来ないものなのでしょうか。

昔の、巨匠と呼ばれる人たちは、一作品ごとに新たな物語を作り出していていました。
続編と呼ばれるものを作ったとしても、短期間のうちでした。
またそれぞれの作品の中で、ひとつの物語を完結させていました。
だからこそ巨匠と呼ばれるのだと思います。

30年近くの長い期間をかけて完成させたものとしては、少々お粗末ではないかと思います。
「2匹目の泥鰌」や続編といったもの作ったほうが、売上を上げるには確実なのでしょうが。

最近こういう感じのものが、映画に限らず増えているような気がします。

気候 体温 ホット&ウェット

一年のうちで、これからの気候が嫌いです。
「好きじゃない」という言い方もしていたんですが、この際だから言ってしまおうと思い、断定形にしてみました。
初夏、梅雨、夏、残暑という名前のつくの期間、このまとわりつくような湿気、熱気が堪りません。
子供の頃の記憶なものですから定かではないんですが、昔はそんなに暑くはなかったような気がします。
アスファルトの照り返し、エアコンの室外機、自動車の排気ガス、それらものが関係しているんでしょう。
かといって、そんな便利な道具を今更手放す訳にもいかず。

状況 仕組み システム

仕事場のシステムがおかしくなってしまって、何も仕事が出来なくなってしまう時がある。

これは困る。
何も出来ない。
仕事にならない。
こちらでは何も出来ず、ただ修復されるのを待つのみ。
ただただ、時間だけが過ぎていく。
こちらでは何もわからないだけに、余計もどかしい。
個人ではわからなかったり、解決できないことが原因でトラブルが起こると、非常に困る。

過去の時代には解明できなかった謎・事象がある。
現在、それらがどんどん判明してきているのだが、それ以上に、個人の周囲には、わからないことがどんどん増えてきている。
コンピュータやインターネット等の仕組みも解っているようで、細かいところはよく解らない。
ブラックボックス状態だ。

何事も仕組みを知った上で、使用・操作できるに越したことはない。
とはいえ、携帯電話の仕組みを知らずに、遠くの相手と話をしている。
テレビ受像機の仕組みも知らずに、テレビ番組を楽しんでいる。

特に難しく考えることはないのかもしれない。
現在あるものを、どう使用するかさえ、考えていれば良いのだろうが、
ふとした時に、ブラックボックスに囲まれて生活していることに気付く。

その時、何ともいえないものが、ふっと湧き上がってくるのだ。


勝負事 賭け事 ギャンブル

パチンコをよくやるのだが、悉く負ける。
たまに勝つときもあるのだが、それまでの投資額には遠く及ばない。
以前、家人と一緒に行くと必ず勝っていたのだが、
その時点でさえも、それ以前の投資額に比べると、プラスだったとはいえない。

世の中には、ギャンブルで生計を立てている人もいるようだが、
やはり、ギャンブルは胴元が儲かるもの、らしい。
運の総計は、最終的にプラスマイナスゼロだというが、
こと胴元がいるギャンブルについては、マイナスが相場といえる。

マイナスになるとわかっているなら、止めておけばいいと思うのだが、
なかなかこれが止められない。
勝ったときの快感がどこかに記憶されていて、
財布に余裕があると、ついパチンコ屋に走ってしまう。

取り敢えずの対症療法としては、
財布等にカード類は入れず、必要最低限以外のお金しか入れない、
しかないかと思っている。
その状態に慣れ、パチンコ屋に行くことをしなくなれば、
パチンコでお金を使うこともなくなるように思うのだ。

ようは生活習慣を、改めることなのだ。


圧力 圧迫 プレッシャー

自分には子供がいる。
可愛い存在だ。

だが、子供の存在があるということで、自分のやりたいことに制限が出てくることも確かなのだ。
子供以外にも、妻・親・親類・友人・恋人等の存在も、そうだといえる。
どの存在も、自分の行動を制限するものといえるのだが、子供はそれ以外のものと、何か違う気がする。
何か特殊、特別な何かなのだ。

別に、自分の子供が嫌いなわけでも、邪魔なわけでもない。
子供といると、楽しいし、時間を忘れる。
ただ、何か無言の圧力、プレッシャーが、いつも、どんな時にもあるのだ。

これは、今まで経験したことの無いものだ。
これまでの圧迫感というのは、子供という存在が持っているものに比べれば、ごく軽く、短期間なものといえる。
時間さえ来れば、無くなるものだ。
だがこれは、お互いどちらかがこの世からいなくなるまで続く。
いや、いなくなったとしても続くものなのかもしれない。

いつかは慣れてくるものだと思っているのだが。