出直しがスタートしてから、もうすぐ1年が経とうとしている。。。

 

7月にはいって、

進歩どころか、なんだか、すっからかんになっていて、

いまだ、夫婦関係も落ち着いていない。

そんな自分に、がっかりしながら、

いや、必要なプロセスが、全部起こっている最中。

なんやと言い聞かせながら、

もち麦の納品に、新宮へ出かけた。

 

 

帰りに、ふと、

熊野仙人がいつもいてはる場所に、行ってみよう。

そして、いてはったら、七夕にご神事があるのか?

聞いてみよう。

いてはれへんかったら、それだけのこと。

と、やたらドキドキしながら、その場所に行ってみた。

 

 

仙人は、そこにいた。

七夕の神事の準備に忙しそうだった。

 

 

熊野古神道

なにか、形式張ったものや、お社があるわけではなく、

必要な場に赴き、そこで必要な祈りをする。

ただ、日どりを決めて、各地からたくさんのひとが集まるご神事は、

たくさんの準備がなされ、ほんとうにすごいな、と、

ご一緒させていただける機会に、感動する。

 

 

去年の七夕に、礒さんから聞いていたのは、

”七夕の日の出に、潮岬で神事を”

されたということだけで、

その内容は、いっさい知らなかった。

 

仙人が言う。

饒速日と瀬織津姫、七夕やからな。

 

 

「まこも」をさわっていると、

もうどうしても、どうしたって「水」のことがセットで、

「水」のことに関わっていると、

どうしても「瀬織津姫」のエネルギーを避けては行けない。

 

 

とはいえ。

ただ、すっからかんで不安定なまま、

七夕を通過するんじゃなくて、

いったんの節目を、

それも、縁が深すぎた潮岬で迎えることができる。

それだけで、もう、十分な気がしていた。

 

 

予報は雨。

もう、ずぶ濡れになる覚悟で、着替えも、お風呂に行く準備も万端。

でも。

日の出は拝めなかったけど、とても晴れた。

たくさんのひとたちで、楽しく準備され、

楽しくご神事がすすむ。

仙人を慕うひとたちが、仙人の人柄を物語る。

 

礒さんと、パートナーのはるみさんと、

神聖幾何学とまこものお話も、たくさんできて、

もの凄い情報量、いっきに流し込んでもらった感じで、

崩壊後の現時点、地点の確認ができたことは、

なによりの指針になり、ほんとうにありがたく。。。

 

そして、この一連のご縁なくして、

きっと知りえなかった、潮御崎神社の東の神場の存在。。。

 

 

 

5歳に、伯母がいる串本に、家族で越してきて、

大阪に出てからの方が、潮岬に来て、いることが多かった。

 

2度目のIターンで、本宮へ来たのも、

伯父が亡くなって、伯母が独り身になったことも、きっかけで、

この40年あまり、わたしが見てきた世界は、そのまま、

伯母が見ていた世界と重なっていたのかもしれない、

そう思った。

 

 

ずっと、暗かった。

青い空と海。濃い緑、鬱陶しいほどの生命力が迫ってくるような、

そんな自然がここにはあるのに、

その美しさに圧倒されながら、

切り離そうとしても、紙一重で張り付くような暗さが、

わたしにとっての熊野では、ずっとつきまとっていた。

 

 

その暗闇から、目をそらし、逃げようとすらした。

でも、伯母が自死し、次いで弟が自死してから、

向き合わざるをえなくなり、暗闇に突っ込むようにして、

ユタの血を呼び覚まそうとしてきた。

 

で、結果、まこもをしている。

けど、明るくなったわけでは、ぜんぜんなかった。

 

 

でも。

 

でも。

 

この日、

すべてがプロセスだったと、

なんなら、40年以上、プロセスの真っ最中で、

まこもを扱うものとして、祓いに祓われて、

すっからかんになって初めて、

その存在を知ることを許されたような、

黄泉がえりの太陽を拝む場所。

 

 

 

 

 

ご神事に集われた人たちが、帰ったあと、

ひとりで、その場所へ行き、

すでに高く昇ったお日さまを拝んで、

夜が明けたことを、感じた。

 

 

 

 

「明けない夜はない」っていう。

でも、明けない夜もある、そう思う。

 

きっとわたしは、伯母や母を通して、

太陽を拝む拝所を見つけることのできない闇を見せてもらってきた、そう思う。

そこには、愛も穢れもすべてがあって、

入り交じって、見分けがつかない。

だって、暗いから。

 

 

でも、暗闇では、ほんのり微かに、自分が発光していることも知る。

それは、反射して光るのか、自ら発光するのか、

わからないけれど。

そのかすかな明かり、直感や導きを頼りに、拝所へたどり着けた。

そんな風にも感じる。

 

 

いまは、死んだら那智の妙法山へ行きたいと、

生前言ってた伯母の気持ちが、わかる。

黄泉は、すべてを受け入れてくれる。

生きて、黄泉がえりを果たせなくても、

熊野の黄泉の入り口は、受け入れてくれる。

 

 

いまは、ただただ、これまでのすべてに、

感謝だけが、湧いて、流れていく。

 

 

ありがとう。