当時の記録の方が信憑性があるという理屈は確かに分かるし、一次資料を起点に考えるべきという理屈はもっともだけど、江戸時代に書かれたものの信憑性が当時の記録よりも低いとしても、書かれている事が全て100%嘘という事にはならない 
 この著者は蘭丸が美少年だったとか信長の男色相手だったという記述は、江戸時代後期にならないと無いと嘘を書いている

 恐らく確信犯で、人気武将の男色を無かった事にしたい為に、その入り口となる信長と蘭丸の男色関係を否定するのが手っ取り早いと思っているからだろう。要はこの本自体が純粋な日本の風俗史研究の為のものではなく、ともかく男色を無かった事にする為に書かれたものと推察する。

 分かり易く言えば、蘭丸は男色史界のボスであり、名前が有名過ぎて他のマニアックな美少年のように今更脇に追いやる事が難しい為、こういう嘘を書くのだろう。
 男色史の中で一般レベルまで知名度があり、昭和の同性愛暗黒の時代に実像を歪められ掛けても「男色」というステータスのみで名を残し続けているのは蘭丸のみ。
 なのでマニアックな例は否定せずに歴史上有名な人物、特に人気武将の男色話を否定したがる傾向から、それが見て取れる

 まあ、その著者の心理自体が既に男色的であり、性犯罪を庇いたくなる男性心理といったところだろうか。
 はっきり言って400年前の男達の下半身スキャンダルなんか庇ってどうする。
 やっぱり先祖が積み上げてきた男同士の絆は今も途切れてないのかもww

 ともかく歴史とは信じられない事の連続であり、同性愛に対する偏見を歴史に持ち込むのは如何なものでしょうか?
 とはいうものの、こうした著者の行為を単なるホモフォビアと断罪出来ない裏も私は感じています
 同性愛に対する偏見というとホモフォビアの存在のみを考えがちですが、蘭丸に対する感情論を加速させる理由の一つには腐女の存在もありそうです
 男同士に対して「異常興奮し妄想してしまう」というのも偏見の逆パターンで、問題は脳内に止まらず、史実を曲解したり資料に無い男色ネタに容易に釣られて暴走、少ない情報に妄想を詰め込んだ頭で歴史という分野に踏み込んできてしまう
 私が前から感じていた○○と✕✕不快な盗作盗用心理?を非常に明確に言い当ててるので貼らせて貰いましたhttps://t.co/ZFstvRkiVT
(なるほど、こちらの方のブログで腐の病みを的確に分析してます 私はブログに関わる内容で二人の腐とやり取りしてますが、その時に感じた違和感の正体を的確に突いていてスッキリしました)
病んでるから越えてはいけないライン、どっからが無断盗用、盗作、ストーカー、嫌がらせの定義も分からないんでしょうね 
このリンクを人に教えて貰い、モンスターの正体が分かってスッキリしました🎵
 
ウィキの話しを知った時「え?」って思いましたよ
 なので専門家による蘭丸への感情論というのは、彼に対してというより歴史上の人物を安易にオナ○ット化してしまう腐女に対する嫌悪と排除という無意識、意識的双方の事情があるのでしょう
 私のような男色擁護派ですら、その妄想の一端(実害)に触れ、病みを感じるくらいですから

腐もホモフォビアもどっちもどっちとは言え、思考的にはホモフォビアの方が明快で拗れてない 
 勿論重度の場合は拗らせ背景ありそうですが、腐女の場合の方が拗らせ感が強いと思います ここまで病んでると歴史界から排除されても仕方ない いや、あらゆる場面から追い出さないと日本の恥レベルですよ

まあ、腐の存在が男色史をややこしくしてるとはいえ、書かれている事は書かれている事。感情論だけで書かれてない事にしたら歴史改竄になるので本末転倒です

 話し戻しますが、利口さを伝えるものも美少年振りを伝えるものも信長に寵愛されたという記述も江戸時代中期までの比較的ポピュラーで図書館やネットで見られるレベルの史料に沢山載ってる 

と思わず言いたくなるのは、著者の書き方だと、江戸時代の中期くらいまでの記録では彼の利口さなどには触れているけど全く美少年だとか男色を思わせる色っぽい記述は無く、蘭丸という名前だけで美少年というイメージがいつの間にか出来上がり、江戸時代後期になって漸く美少年だとか男色相手だったとかの記述が見えるという書き方をしてるが実際は江戸中期までの史料に美少年とはっきり記述されており、男色の寵愛を示唆する語句が並んでいる 勿論特に容姿に触れていない人物紹介もあるが、単に触れていないというだけで、実は体格が良かった、年齢が二十六才だったなどとは勿論書かれていない⬅明らかに読者に知識が無い事(原文史料を見てない)、歴史研究という名の元に出版すれば疑わずに丸呑みするだろうと見越してる感じがする

こんな男色に関して盛り沢山の本を出版する人間がこういう事していいのか?
 蘭丸に関してだけは後世創作の利口逸話で塗り固めたところで男色臭が薄まっていません
 はっきり言って信長との男色無しでは語れない程強烈な人物なので諦めた方がいいww

 取り合えず、このブログで書いた史料にある蘭丸と信長のエロスで取り上げた蘭丸に関する記述の出典史料は全て江戸時代前期から中期までのもの。
 
 そして、蘭丸の逸話、やや色気があるものから、利口さや気配り上手を伝えるものまで、胡散臭い話は混じっていても江戸時代中期頃までに大体書かれている。
 私のブログで取り上げた史料を時代別で分けてみた。

安土桃山時代?
武将感状記(男色) 
 著者は沢淡庵1629年~1691年江戸前期の儒者と伝わるが、実は信長に仕えた池田家備前岡山藩士の吉田源之丞の家(弓術で有名らしい)に伝わるものを熊沢が整理してまとめたものとされるので、刊行は江戸でも内容は安土桃山時代に書かれたものという可能性がある
江戸時代前期
 武家閑談(美少年、寵愛、男色、利口)
 木村咄(美少年、利口、寵愛、人柄)
 明智軍記(美少年、男色)
江戸時代中期
 遠山来由記(美少年、寵愛、男色、利口)
 兼山記(利口、男色を思わせる激しい寵愛、人柄)
 常山記談(利口、寵愛)
 鳩巣小説(ファッション(^^;)
 絵本太閤記(美少年、利口、寵愛《男色含みあり》)
江戸時代後期
 森家先代実録「武家聞伝記(江戸時代前期)が元になってるので内容としては江戸時代前期(美少年、利口、良い人柄、寵愛)
幕末から明治
 名将言行録《有名な蘭丸の逸話が大体全部網羅されてる(蜜柑、爪、不動行光刻みとか)》(美少年、利口、ショタ男色含みある逸話いくつか)名将言行録は成立時期こそ新しいが江戸時代前期の武家閑談等からの抜粋逸話が入っている
 カッコの中は蘭丸がどのようなイメージで書かれているか。
 江戸時代前期はやはり信憑性が高く、書いた作者にも信用が置ける
 木村咄を書いた斎藤忠時は1639年生まれ、武家聞伝記を書いた森家家臣の木村昌明とは交流があったようで、武家聞伝記は1697年に成立とある。武家閑談の作者木村高敦は1680年生まれ
これから考えると江戸時代前期には美少年、男色、利口、寵愛という蘭丸の人物像は既に出来上がっていたように思える。
 しかも作者が森家に縁のある木村昌明と斎藤忠時な上に乱世を知る人間がまだ存命中に生まれているから、ほぼ蘭丸の実像に近いだろう。

人物像なんて大抵死後書かれるものだし、蘭丸の死亡年齢を考えれば、人物像をリアルタイムで書くことは不可能ってか有り得ない。
これを信用出来ないとなると、一体いつ書かれたものなら信用出来るというのか

戦国武将と男色ー知られざる武家衆道の盛衰史の著者は須永朝彦という著者が書いてる事を引用しているので、私もお金を貰って本を出版している人の言葉を借りてみた。
「信長の親衛隊」を書いた谷口克弘という著者によると 「蘭丸像は江戸時代の読み物によってかなり誇張されているとは思う。しかし、容姿端麗なだけでなく目から鼻に抜ける利発さを持ち合わせ、しかも態度の堂々とした老成した感じの少年だった事は確かなようである。

 江戸時代に誇張されてると思われる部分は主に実績面
「彼は信長の寵愛する近習ではあったが、その行動範囲はほとんど信長の周囲に限られていた。

「将来を嘱望されるだけの資質を持った少年だった。信長が生きていたならば、その天下統一への事業を支える人材に育ったであろう。しかし現実に彼の三年間の実績を評価した場合、普通の小姓の持つ役割をさほど越えるものではなかった。

私の追求した盛られていない蘭丸の実像を的確に表現する素晴らしい御言葉

 まとめると『美少年であった事、男色相手であった事も事実であろうとしながら、男色相手であったからというだけではなく将来性のある利発さを信長に愛され、信長の身の回りで秘書的な仕事をして愛されながら大事に教育されていた超秘蔵っ子。片時も側から離れずというのも本当 ただ、あまりにも早死にしてしまった為、その能力を発揮出来ず、生きていた間に残る働きは、せいぜい小姓に毛が生えた程度のもの』

 この実像をやっぱりねと思うか、がっかりするかは人それぞれ、でも男色関係を否定したところで、信長に能力だけを愛されて重用された人物と解釈したら、それは違う方向に盛ってるだけでは?
蘭丸が良く分かる歴史小説はコチラ




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