1945年(昭和20年) ╴大本営が沖縄戦終了を発表した日になります。


降伏の白旗を振る少女



6月23日午前4時ごろ、日本の沖縄守備軍最高指揮官の第32軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が、摩文仁の軍司令部で自決したことによって、沖縄守備軍の指揮系統は完全に消滅した。

24日には基幹部隊であった歩兵第22・第89連隊は、軍旗を奉焼し全滅。

大本営は、6月22日の菊水十号作戦をもって菊水作戦を終了し3月26日から3ヶ月間続いた、沖縄本島における組織的な戦闘の終了を3月25日に発表した。

しかし、残存勢力による戦闘行為は終戦日まで続いた。

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2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、2回に渡り「島唄」の創作秘話が語られていた。

(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

ガマ



2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)

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(宮沢和史の旅する音楽:その9)再び「島唄」のふるさとへ

02年夏。ぼくはアルゼンチンのマルチアーティスト、アルフレド・カセーロとともに沖縄の竹富島にいた。石垣島から船で10分。赤い瓦の伝統的な建物が美しいこの島では以前に「島唄」のビデオクリップを撮影したことがある。ぼくらは2人並んで海に浮かぶ月を眺めた。

翌日は沖縄本島のひめゆり平和祈念資料館に向かった。彼は、沖縄地上戦を生き延びたおばあさんの体験談に強い衝撃を受けたようだった。陽気な彼は黙っておばあさんの語りに耳を傾けた。

最後はコザの民謡酒場。夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。

ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。多くの人々との出会いがあった。
 
自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。

沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。特に竹富島は「隠れ家」のような場所。島を歩いていると、おばあさんから「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。ゆったりとした時間が流れる沖縄は、自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。

2005年09月01日 朝日新聞朝刊

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でいごの花


嵐のごとく上陸する米軍



『島唄』THE BOOM 
作詞:宮沢和史

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

■解説■
でいごの花:春から初夏にかけて赤い花が咲く。見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。
洞窟:沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。宮沢の記事にあるとおり。
ニライカナイ:沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。
千代、八千代:国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。

Googleで"okinawa cave"で検索すると、当時の写真が多数出てくる。