1939年(昭和14年) - NHK放送技術研究所が国産テレビの試験電波発信を開始した日になります。

高柳健次郎博士

1926年 - 12月25日、浜松高等工業学校の高柳健次郎が浜松高工式電子式テレビ受像機(ブラウン管テレビ)を開発発表した。

撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管を用いた。「イ」の字を表示させたことで知られる。この功績により高柳は「日本のテレビの父」と呼ばれる。


1925年からテレビジョンの研究に着手していた、早稲田大学の山本忠興や川原田政太郎は、1930年3月17日 -早大式有線テレビを完成し公開した。

1931年7月 - 川原田らは早稲田大学戸塚球場にて行われた同学野球部の試合を、理工学部実験室まで送信することに成功した。これが世界初の屋外実況中継となる。

1931年 - 日本放送協会(略称NHK)放送技術研究所でテレビの研究開始。

1932年 - 早大式は有線から無線電波式に改良された。

1933年 - 早大式に日本放送協会から多額の研究資金が提供され、同年秋に日本最初のテレビジョン研究室が同大学構内に建設された。

1934年 - この年の1月12日付の新聞で山本は「将来的に映画に匹敵する画質」「生中継ではなく、撮影を行い、適宜に編集を行った上で放送するようになる」と発言している。

1935年3月から5月まで横浜で開催された関東大震災復興記念横浜大博覧会にて、逓信省電気試験所の曽根有(山本忠興門下)らが開発したテレビジョン電話試作機が展示された。

1937年 - この頃から高柳がNHKに出向し、1940年に予定されていた東京オリンピックを見据えてのブラウン管式テレビジョン研究に参加する。

1939年3月に日本でNHK放送技術研究所でテレビ放送実験を開始。

1939年5月13日、新放送会館の完成を記念して13km離れた技術研究所からテレビ電波を送信する公開実験が行われた。

テレビジョン実験放送開始 | NHK放送史(動画)


1940年 - 4月13日、日本初のテレビドラマ「夕餉前」の実験放送。
東京オリンピックは日中戦争激化の影響などを受けて中止となった。
テレビジョン研究は中止され、技術者は無線通信やレーダーの開発を求められた。

1945年 - 敗戦直後、日本のテレビ研究がGHQにより禁止される。高柳は軍属として公職への勤務が禁止された。

1946年 - 高柳は弟子らと共に日本ビクターに入社しテレビジョンの研究を続けた。7月、テレビ研究禁止令が解除され、11月よりNHKが研究を再開した。