1937年( 昭和12年) - 朝日新聞社の「神風号」三菱九七式司令部偵察機二型(キ15-II)がロンドンに到着、亜欧連絡飛行を成功させた日になります。
飯沼正明飛行士(左)と塚越賢爾機関士(中央)クロイドン空港にて歓迎を受ける


朝日新聞社は1937年5月12日にロンドンで行われるジョージ6世の戴冠式奉祝の名目で、亜細亜欧州間連絡飛行を計画し、長距離偵察機の試作2号機を払い下げるよう陸軍に依頼した。

当時、日本とヨーロッパを結ぶ定期航空路はなく、また東京からアジアヨーロッパ経由でのロンドンへの飛行は逆風であり困難であった。

乗員には飯沼正明飛行士(24歳)と塚越賢爾機関士(36歳)が選ばれた。

機体愛称は公募50数万通の中から東久邇宮稔彦王によって「神風」が選ばれた。

機体塗装のデザインは画家の山路真護が担当した。

朝日新聞紙上で声援歌も公募され、当選作が日本コロムビアから『亜欧連絡記録大飛行声援歌』(作詞:河西新太郎 作曲:田村虎蔵 編曲:奥山貞吉)としてレコード発売された。 


神風号は1937年(昭和12年)4月6日午前2時12分4秒に立川飛行場を離陸。
台北、ハノイ、ビエンチャン、カルカッタ、カラチ、バスラ、バグダッド、アテネ、ローマ、パリに立ち寄りながら、現地時間の4月9日午後3時30分(英国時間)にロンドン・クロイドン飛行場に到着した。


立川を離陸後、距離15,357kmを平均速度300km/h、計94時間17分56秒で飛行し、給油・仮眠をのぞく実飛行時間は、51時間19分23秒であった。

デイリー・エクスプレス紙は、到着に先立って4月8日付朝刊のトップに神風号の接近を報じ、ロンドンのクロイドン空港や前経由地のパリのル・ブルジェ空港は人波にあふれた。
飯沼正明操縦士と塚越機関士はフランス政府からレジオンドヌール勲章を受勲した。当時はフランス政府がパリ―東京間100時間内の飛行に懸賞金をかけたが、ヨーロッパの飛行士は失敗を繰り返していた中での偉業であった。

4月12日、神風号は大西洋航路で到着する秩父宮夫妻を空から迎えたのち、ヨーロッパの各地を親善訪問した。
そして5月12日の戴冠式の記録映画を積んで、14日にロンドンを離陸し、21日には大阪を経て羽田空港に着陸帰還した。

英国のフライト誌は、4月15日号で日本人の飛行士が乗った純日本製の飛行機及び発動機による長距離の世界記録飛行の偉業中の偉業に驚きとともに賛辞を伝えている。
また、純国産機による初の大飛行に日本国中が沸き上がり、日比谷野外音楽堂では大規模な祝賀会が催された。

神風号飛行の成功は、当時の世界新記録となり、飯沼正明操縦士は朝日賞を受賞した。

塚越賢爾機関士は日産自動車からダットサン・フェートンが贈られた。
しかし、賢爾は自動車運転免許を持っていないため、警察に相談すると、「操縦士免許を持っている塚越さんが自動車を運転できないはずがない」という理由で、あっさりと運転免許が発行され、休日には家族でドライブを楽しんでいたと云う。 

近年、TV朝日系列で1985年(昭和60年)10月1日21:00-23:18の放送枠で『美貌なれ昭和』というタイトルで、永島敏行(飯沼正明)、田中邦衛(塚越賢爾)の出演でTVドラマが放送された。