1945年(昭和20年)玉音放送が行われ、日本国民に大東亜戦争における敗戦を伝えた日になります。
【玉音放送】は、昭和20年8月15日正午に、社団法人日本放送協会にてラジオ放送された、昭和天皇による終戦の詔書の音読放送で、大東亜戦争における日本の降伏を国民に伝えるものであった。
昭和天皇は詔書を朗読してレコード盤に録音させ、翌15日正午よりラジオ放送にて国民に詔書の内容を広く告げることとされた。
放送前日には予め「15日正午より重大発表あり」という報道があり、また当日朝にはそれが天皇自ら行う放送であり、「正午には必ず国民はこれを聴くように」との注意が行われた。
当時は電力事情が悪く計画停電となっている地域もあったが、特別に全国で送電される事になっていた。
また当日の朝刊は放送終了後の午後に配達される特別措置が採られた。
放送は正午に開始された。
初めに日本放送協会の和田信賢放送員によるアナウンスがあり、聴衆に起立を求めた。
続いて下村宏情報局総裁が天皇自らの勅語朗読である事を説明し、君が代の演奏が放送された。
その後4分余り、天皇陛下による勅語の朗読が放送された。
再度君が代の演奏、続いて「終戦の詔書をうけての内閣告諭」等の補足的文書のアナウンスが行われた。
殆どの国民にとって天皇の肉声を聴くのはこれが初めての機会であった。
また沖縄で玉音を聞いたアメリカ兵が日本人捕虜に「これは本当に天皇の声か?」と訊ねるも、答えられる者は誰一人居なかった。
『15日正午の放送』
・正午の時報1945年(昭和20年)ポツダム宣言を日本が受諾することが決定された日になります。
ポツダム宣言は、昭和20年7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言である。
7月27日、日本政府は宣言の存在を論評なしに公表した。
トルーマンは7月25日の日記で「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信している」と記載している。
むしろ宣言のみによる降伏ではなく、宣言の拒否が原子爆弾による核攻撃を正当化し、また組み合わせて降伏の効果が生まれると考えていた。
8月6日には広島市への原子爆弾投下が行われ、同市における甚大な被害が伝えられた。
また8月9日の早朝にはソ連が【日ソ中立条約】を一方的に破棄し、満州国、朝鮮半島北部、南樺太への侵攻を開始、ポツダム宣言に参加した。
日本では最高戦争指導会議が行われ意見を求めた。
強く反対する者はおらず、また会議の最中に長崎市への原子爆弾投下が伝えられたこともあり、「国体の護持」「自発的な武装解除」「日本人の戦犯裁判への参加」を条件に宣言の受諾の方針が優勢となった。
8月10日未明になって昭和天皇のいわゆる「聖断」が下され、ポツダム宣言には「天皇統治の大権を変更する」要求が含まれていないという了解の元、ポツダム宣言を受諾するという回答が決定された。
8月14日に改めて御前会議を開き、宣言受諾が決定され、同日付で終戦の詔勅が発せられた。
同日、加瀬俊一スイス公使を通じて、宣言受諾に関する詔書を発布した旨、また受諾に伴い各種の用意がある旨が連合国側に伝えられた。