熊本地震
被災地を歩く 障害者、遅れる支援 長期化する避難生活、心労絶えず /島根


毎日新聞2016年5月15日 地方版

 最大震度7を2回観測し、甚大な被害を出した熊本地震。最初の地震発生から6日後の4月20日から熊本県に取材に入り、20人の死者が出た益城町などを歩いた。余震が続き、被災者は避難所や車中泊で長期化する避難生活に耐えていた。特に、支援が遅れがちな障害者とその家族は心労が絶えないように感じた。取材した6日間を報告する。【藤田愛夏】

 道にせり出した全壊家屋、所々隆起した道路を抜けて、20日、益城町に車で到着した。指定避難所だった町総合体育館はメインアリーナが損壊したため、施設内の部屋や通路に所狭しと毛布や段ボールが広げられ、避難者で一杯だった。

 大型施設や避難所の小学校でも車中泊をする人たちの姿が多く見られた。目立ったのは余震を怖がる子どものいる家族だった。4歳の長男に発達障害があり、妻(37)と小学3年の長女と避難所前で車中泊をしているという男性(37)もいた。

 男性は「慣れない環境だと怖がるので避難所や自衛隊が設営した入浴場は利用できない」。車中泊を始めて10日ほどがたつが勤務先の再開のメドも立たず、家計の心配も募らせていた。

 自宅前で車中泊の家族もいた。野口哲子さん(74)は知的障害のある次女の圭子さん(45)と、足にまひがある夫の寿信さん(83)の3人家族。圭子さんは大勢の人がいると、パニックになり、圭子さんの車いすは混み合う場所ではスペースを取るかもしれない。だから「自分たちだけ特別扱いしてもらうのは申し訳ない」と避難所に入るのをためらったという。

 水や食料、日用品は哲子さんが避難所などで確保する。夜、車の座席で眠れるのが4時間程度で、エコノミークラス症候群も懸念された。人けのない夜を3人で過ごすのは心細いだろう。

 避難所では被災した障害者の支援ボランティアとも出会った。岐阜県からきた男性は目が不自由な人を探していた。慣れない避難所でトイレに行く際の介助などが必要だという。

 「熊本県難聴者中途失聴者協会」の相談役、宮本隆安さん(57)は避難所を回って耳が不自由な人へのサポートを呼びかけていた。自身も難聴がある被災者の一人だ。宮本さんは「難聴は外見ではわかりにくい。避難所のアナウンスや、リアルタイムの情報が分からないなど苦労しているはず。周囲の人は筆談や掲示板を活用してほしい」と訴えた。

 現地では、被災した障害者らに行政の支援が十分に届いていないように感じた。だがそういった人にこそ支援が必要だろう。では、どう幅広い支援の体制をつくっていくのか。記者としてできることがあるはずだ。そう自分の心に刻んでいる。

毎日新聞より引用
http://mainichi.jp/articles/20160515/ddl/k32/040/305000c

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