イジメられっ子生活~第4期~

(高校1年~2年)

 

東稜高校入学。

ボクは逃げたのです。

 

中学で出会った、少年の船の仲間達は、皆、成績優秀。

「熊高」で会おう。が合言葉でした。

副団長だったボク。

実はイジメられっ子・・・バレたくなくて、親のせいにして東稜に逃げたのです。

 

理数コース。

クラス替えは3年間なし。

 

初日、面子みてビックリ。

中学でたぶんケンカが一番強かった彼。

お隣のゴリゴリの中学でたぶんケンカが2番目に強いと噂されていた彼。

 

彼らに取り入るしか、この学校で生きる道はないと一瞬で悟りました。

東稜入学後、即、さらなる逃げ行為を行ったのです。

「ボクを仲間に入れてください。」

 

ところが、イジめられっ子体質はイジメっ子には既に見抜かれていて、仲間どころか、私の立場はただのパシリ。

グループの中にはいるけど、イジメられっ子のままなのです。

 

次第に、不登校に。

同級生や、先生方の中には、私の所属するグループや、短ラン・ボンタンという身なりから”不良”的な不登校。

だと勘違いされていた方も多かったと思います。

 

違います。

日々エスカレートするパシリの仕事に疲れ、本気で繰り出される蹴りやパンチに怯え・・・

見て見ぬふりをし続けるクラスメートに、日々、目を合わさぬよう、目を逸らされる事に疲れ・・・

飲酒、喫煙、パチンコ、競輪、バンド・・・これに付き合わされるのもすごくイヤだったけど・・・

それでも、その二人以外からは何もされないという環境は、小4~中3までの環境とは大きく変わりました。

 

殴られるけど、蹴られるけど・・・

所詮パシリだけど・・・ボクを無視はしない彼ら。

そして気づけば、そこが自分の居場所になってしまう、恐ろしさ・・・

 

できるだけ、彼らと顔を合わさないように・・・

できるだけ機嫌をそこねて殴られないように・・・

の2年間の不登校生活。

 

結果。留年。

 

それを機に、気づけば、クラス違うので、パシリですらなくなったのですが・・・

「威嚇」継続。

茶髪に違反制服、遅刻は毎日、夜遊びに明け暮れ・・・

何とか卒業も、後輩から数奇の目で見られつつ・・・卒業式は金髪でした。

以降、25歳まで、悪いやつのレッテルを張られ、気づけば千葉でちょっとアンダーグランドな人々の世界で揉まれました。

 

二度とイジメられる側になりたくなかったから・・・

でイジめる側に逃げようとしたら、所詮パシリにしかなれず、留年し、人生計画、すべて狂いました。

 

そこから、元の自分に戻る・・・成績優秀、マジメ。に戻る・・・

メチャクチャ、苦労しました。

 

今、思う事。

 

⑥へ続く