先ず最初にいいたい事。

 

イジメは今も昔も存在していて、イジメる側、イジメられる側、両方に原因があるという事。

そして、それを見て見ぬふりしている人間が”一番の悪”であるという事。

私は、イジメてきた同級生よりも、それを見て見ぬふりをしていた同級生や当時の教職員に対し、怒りを覚えます。

また、イジメられる側になってしまった当時の私自身も恥じています。

ですが、小、中、高と続いたイジメ・・・我慢した当時の自分を褒めてあげたいとも思います。

「よく頑張ったな!お前。」

 

イジメの始まり。

それは、小4の夏・・・でした。

 

両親が離婚することになり、叔父さんのお店の倉庫の2Fで、母、私、弟は生活をはじめました。

 

それまでは、公務員だった父所有のマイホームに暮らし、当時、現役の競輪選手だった叔父の家が隣で、庭でつながっていた為、庭に鉄棒、砂場、大きな楠の木にブランコもあり、庭で野球やらしてました。

夏には小学生10人くらいで遊べるプールも作ってもらい、さらには同級生の誰よりも早くファミコンを持っていた我が家。周りからは裕福な家柄に思われていたかもしれませんし、毎日、同級生が5~6人は私の家に遊びに来てくれて、自分では人気者だと思っていました。

 

ところが、貧乏倉庫生活が始まると、同級生を家に呼ぶことも、同級生が家に来ることもなくなり・・・

以降、小学校で同級生の家に遊びに行った記憶がありません。

 

当時は、まだ、お誕生日会とかも行われてましたが、一度も、呼ばれた事がありません。

当時の私は、家が貧乏になったから・・・ただそう思うことにしていました。

 

小4~小6まで、野球部に所属していました。

母がなけなしのお金で、ホームセンターで格安で見つけてきてくれたグローブを3年間ボロボロになるまで使いましたが、実はメイドイン・チャイナ。しかも、ソフトボール用のグローブでした。

実は、視力が0.7くらいまで落ちていたのですが、メガネを買ってほしいと母に言えず、よく見えない状態で、しかも、グローブの芯を外すと、100%網の間からボールがすっぽ抜けていく、ソフト用のグローブを愛用です。

そりゃ、エラーばかりするはずです。

おまけに、ユニホームもつぎはぎだらけでピッチピチ!

野球部の父兄の方々は、試合の送迎や応援に毎週来るのが当たり前の時代、私の家には車もありませんし、母は仕事で、一度も来てくれたことはありませんでした。

今、考えたら、相当なお荷物部員だったはずなのですが、野球部のメンバーは誰も私をイジメてこんかったのです。

実は、私以外全員、クラスが違ったのです。

 

私へのイジメは、クラス単位でのコミュニティで行われていたのです。

 

②へ続く