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母の用事で、とある病院に行ったのですが、そこが大宰府政庁跡の直ぐ近くだったので、用事を済ませてから政庁跡に参りました。
前回は雨で、あまりゆっくり回っていませんので、今回は、散歩がてら回って来ました。
観世音寺などと同様に、日本遺産として登録されています。
大宰府政庁跡といえば、この風景!
ひとつずつ見て行きましょう。
左から…
こちらは、大宰府跡碑で、明治13年に建てられたものです。
次に、都督府古趾碑で、明治4年に建立されたもの。
そして、一番右端は太宰府碑で、大正3年に建てられたものです。
大宰府政庁があったことを後世に伝える為に、このような碑が建立されたそうです。
この近辺に、大伴旅人の邸宅があったのでは、と言われている場所があるのですが、特に史跡にはなっていませんでした。
大伴旅人の邸宅があったであろう場所は、この近辺と坂本八幡宮、そしてもう一箇所あるそうです。
また別の機会にでも調べてみたいと思います。
政庁跡を見た後は、そこから少し歩いて学校院跡に向かいました。
学校院跡の碑が立っています。
この後ろの方に、大伴旅人と親交のあった山上憶良の歌碑があるとのことで、探して来ました。
タイトルが「子等を思ふ歌」とあり、
「瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来たりしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠しなさぬ」
そして、反歌が
「銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」
とあります。
意味は、
「瓜を食べると子供が思われる。栗を食べると、ましてより子供が偲ばれる。子等は何処から来たのだろう。目の前に面影がむやみにちらついて、安眠させてくれない。」
反歌の意味は、
「銀も金も珠玉も何になろう。どんなに優れた宝も子供には及ばない。」
だそうです。
この学校院跡から、ほんの少し行くと、お馴染みの観世音寺に出ますが、また続きは次回に!
最後まで、お読み下さり、ありがとうございました(^-^)
素敵な週末になりますように…☆彡
by こりん