一心精進 隼之記〜最強の城〜 | 熊本城おもてなし武将隊武録ー雲外蒼天ー

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皆の衆!元気にしておるか?
隼之記(はやてのしるし)を見に来ていただき誠に嬉しき次第。

本日は二月二十二日、そう、にゃんにゃんにゃんで 「猫の日」 にござる!

猫と申せば、戦国屈指の猫好き、島津義弘様!
ある戦では猫を七匹も同伴させ、戦に臨まれたと聞いておりまする。



実は本日は他にも、島津義弘様が治められた”薩摩”に関わりがござる、ある出来事が起こった日なのじゃ。
それが、「西南戦争において薩摩軍が熊本城の総攻撃を開始した日」にござる。

元より、この熊本城は、薩摩におられた島津家の抑えとして作られた城であり、薩摩のある南側はより強固に築かれておるのじゃ。


この戦は薩摩の西郷隆盛殿が、明治政府に不満を抱き、起こした戦と聞いておる。
西郷隆盛殿は九州から本州までの経路のため、熊本城を攻略しよう決定いたした。

されど、皆々も知っておるやも知れぬが、熊本城は薩摩軍の攻撃を約二ヶ月間、耐え抜いたのでござる。

清正様の築かれし最強の城の実力は、約二百七十年後に発揮されたのじゃな。



熊本城を攻めた西郷隆盛殿は、この様な言葉を残したと言われておる。

「おいどんは官軍に負けたのではなか、清正公に負けたのでごわす」


加藤清正様の築かれし熊本城がいかに堅牢であったか、改めて解る言葉であるな。

是非とも皆々も熊本城に来ていただき、最強の城と言われる所以を実感して頂きたい。
お待ちしておる!





ここまで見てくれた者よ、ありがとうござる。
この後も清正様をお支えし、精進して参る。

隼人