続きです。

 

こんにちは。くまさんです。

その①では武漢肺炎に触れることはタブーになりつつあるというお話をしました。

 

なぜ、この状況がヤバいのか、考えてみたいと思います。

 

現在のテレビコンテンツの主流は武漢肺炎一色です。

それ以外のコンテンツを流そうものなら「不謹慎!」と一蹴されます。この同調圧力が日に日に増してきています。

マスクが無いといって店員に殴りかかる客、パチンコ屋がクラスターになると言って通報する近隣住民、休業補償を要求するいわゆる「自由業」の人たち、自粛疲れを言い訳に政権批判を繰り返すサ〇クな人たち、特別給付金を狙う詐欺師ども。。。。。

世間が武漢肺炎ウィルス怖さに混沌の様相を呈してきました。その原因は得体のしれない恐怖感にあります。対策しても、対策しても足りない、まだ足りないと疑心暗鬼にかられ、自分の周りがすべて恐ろしい武漢肺炎に感染させようとしているという思考の袋小路にはまり込んでしまうのです。先の見えない恐怖感。

もう手がないとまで思い詰めると、ヒトは周りへの攻撃性を発揮します。

 

いまは武漢肺炎感染拡大阻止っていうのが大義名分、いわば「錦の御旗」になってしまった。この理由であればすべての行動は良きにつけ、悪しきにつけ正当化される。恐ろしいことです。多角的に物事を見、検証を許されない世相、そしてそれから逸脱する「悪」に対して正当化される攻撃性。このロジックを振りかざせば己の中の攻撃性を開放できる、そして、それが称賛される。この快感に酔ってしまうとヒトは後戻りが効きません。

。。。。。これ以上は今回は控えます。

 

岡村隆史さん側の視点でその①は検証しましたけど、その②では岡村隆史さんを非難する側の視点に変えてみます。

 

岡村隆史さんの発言が「許されない!!きーっ!」となるのは、この自粛騒ぎで直接被害を被った方々でしょう。

実際、営業自粛で収入を絶たれた人々にとっては、笑い事ではない。

「なにノー天気なこと言ってんだー!!!こっちは死活問題なんやぞ!」となるのは当たり前です。しかも、毎年繰り返されるインフルエンザの流行とは違い、何の備えもできませんでしたし、治療法も特効薬もない。

そもそもの事の起こりは政府がインバウンド消費を当て込んで、春節の中国人入国阻止を拒んだためです。そういった意味では政府の防疫の不適際による「人災」です。

 

それなのになぜ怒りの矛先が為政者に向かわないのでしょう?原因は国の施策にあるのですよ?初動がまずかったせいですよ?

お笑い芸人をたたく方が簡単だから?女性の尊厳を踏みにじった!!馬鹿にしている!!認識が甘い!!この非常時に何を呑気なことを!!

 

そういう側面はあるかもしれません。

 

でも、よく考えてください。

岡村隆史さんをたたいても、留飲は下がるかもしれませんが何の解決にもならない。
NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」のMC降板の電子署名まで巻き起こったそうですね。有名税とはいえ岡村隆史さん、とんだトバッチリです。鬱屈した怒りの矛先になっただけじゃないですか。

言っちゃ悪いですけど、お笑い芸人一人を干したところで、自粛自粛で追い込まれた閉塞感や情勢は何も変わらない。それどころかフラストレーションが溜まれば、次の生贄をつるし上げるのが目に見えている。

 

くまさんは怖いです。

これ、中世ヨーロッパで起きた魔女狩りと一緒の構図じゃないですか。

今回の騒動も岡村隆史さんが的になり、民衆の不満のガス抜きに利用されただけですね。

 

大事なのは千変万化する情報に惑わされることなく、物事の本質をつかむ訓練をし、正気を保つことです。

思考停止に陥った群集心理は怖い。

容易に攻撃性を外に向かって発揮する。

これを誰かが悪用しないとも限りません。

人が洗脳されやすい状況は恐怖感にかられた時です。

疑心暗鬼に陥ったときにヒトは容易に思考を停止し、わかりやすいロジックに転んでしまう。

そうならないよう、為政者が恐怖政治で独裁している国があります。

中国と、北朝鮮です。

 

両国とも正論を吐けない国です。

ひとつの主義、主張で統一するために恐怖で国民を締め上げています。

かの国では国民の多様性は認められません。

このような国を全体主義と言います。

 

日本をそんな国にしたいですか?

硬直化した単一の思想しか許されない国に。。。。

私たちは思考を手放してはいけません。他者の都合に踊らされ、内なる攻撃性を開放することがあってはならないのです。

 

岡村隆史さんの「不謹慎発言」に対する騒動の裏には、このような背景があります。

 

皆々様、くれぐれも惑いませぬよう、惑わされませぬよう。。。。。

 

では、この辺で締めさせていただきます。

くまさんでした。