くまさんです。
続きです。
 
兜神社から大手町駅まで地下鉄東西線で移動。そして、次の目的地は有名な将門塚です。
くまさんの中でこの史跡を強烈に印象付けたのは、荒俣宏著の「帝都物語」でした。
 
映画化もされ、嶋田久作さんが魔人 加藤保憲を怪演し、帝国陸軍軍人で陰陽師という難しい役柄を見事に演じてくれました。くまさんの中では未だにこの映画を超える伝奇物語の邦画はありません。
 
しかし、電車降りてから、最寄り出口までの地下通路が長いこと(・・;)
同行のメルさんは当たり前の様にスタスタ歩いて行きますが、くまさんはすでにバテ気味です。あぁ、情けない😞
 
関東在の人達の徒歩移動距離がハンパないことがよく分かります。
地方は交通機関が車移動に頼っているから、自家用車移動が必然的に増えるんですよね。ドアツードアですから、足腰は首都圏の人達より弱いかもしれませんね。
 
地上に出て50メートルほどで、将門塚に到着。北斗七星の配置では禄存星に位置します。
都心の一等地を史跡が占有しているさまは、その背景にある歴史とともに畏怖を感じさせます。
このあたりのオフィスに勤める人たちは、将門塚に背中を向けないようデスクを配置してるということですが、本当なのでしょうか?
「尻を向ける」とバチが当たるとか、何とか。
これも都市伝説の類でしょうが、一笑に付すことができない存在感を漂わせています。
 
そして、案内板の正面奥に見えるのは皇居の一角。
ずいぶんと近いですね。
 
いっぱい由緒書きが建てられています。
由緒書き、その①。これは将門塚保存会より。
 
周りはぐるりと築地塀が囲み、一種、結界のように守られています。
そのすぐ横には高層ビルが林立し、この空間が聖域のように独立していることが見て取れます。
チリひとつ落ちていません。樹木もしっかりと剪定され、非常にきれいに維持、管理されています。
聖域の神々しさが感じられます。
由緒書き、その②。これは神田明神より。
由緒書き、その③。これは都教育委員会より。
将門塚のすぐ横にも史跡保存碑とともに小さな立て看板があります。
新聞記事もラミネートしてそばの木に括り付けられています。
この小さな史跡に由緒書きが3つもあります。
人々の関心の高さが伝わってきます。
 
将門塚はガラスケースに覆われ、その前の碑には「平将門 蓮阿弥陀仏」と名号が刻まれています。
まだ、みずみずしい花がいっぱい供えられています。
線香も煙をあげています。ひっきりなしに参拝に来る人たちがいるのが見て取れます。
崇敬の念を集めていることが分かりますね。
すぐ横に鎮座しているカエルさんの石像までもが、なにか使命感を持って、将門塚を守っているかのようです。
 
・・・神田明神旧蹟地とあります。神田明神との強いかかわりを感じさせます。
 
さて、レビューと参りましょう。
くまさんたちが将門塚を訪れたときには、すでに先客が数名いました。
我々も静かに順番を待ち、将門塚に手を合わせました。
 
この周りには観光客の目を引くようなお店や賑やかさがあるわけでもありません。
それでも、参拝のために尽きることなく人が訪れている印象があります。線香や花を手向け、熱心に手を合わせて拝んでいるのを目の当たりにして、将門公の怨念は静かな眠りに就いているかのように感じられました。
畏怖の念とともに多くの人に守られている、いわば聖域の気が感じられます。周りはビル群なのに、この一角だけ空に突き抜けたような気が満ちている。この一角の樹勢を見てもそれは感じられる。パワースポットとして取り上げられるのも道理かな、と感じます。
 
ここは個人的なお願いや欲望を垂れ流すところではなく、将門公の遺徳を偲び、鎮魂の想いを手向ける場所です。荒ぶる怨霊は個人のちっぽけな思いや欲望など吹き飛ばしてしまいます。首都東京を守る大地霊として、護国の任に就いて頂いていることに感謝の念を捧げるところだと感じました。
 
将門塚に一礼して、皇居方向に向かっていったのですが、皇居のお堀が将門塚からの気を内堀通りに沿って、反らしているかのような印象を受けました。お堀がバリアになっているようなイメージです。
何だか力が内堀通りに沿って北の方に流れている感じ。
地脈が逸れているのかな?よく分かりません。
 
次の目的地、神田明神に参れば何か分かるかもしれません。
徒歩で少し寄り道をしながら、お茶の水方面に向かっていきます。
 
続きます。