2日目は生憎の雨模様、
ホテルを出発し残波岬を経て58号線を恩納村万座毛へ向かう。
向こう側の象の鼻のような断崖を見る場所、万座毛のポイントです。
このポイントは50年前には何も整備もされておらず、危険防止柵もなく、
風邪に吹き飛ばされないように、注意しながら崖っぷちに近づいて見るワイルドな場所との印象でした。
今は立派な展望台施設が出来て、舗装された遊歩道もあり、危険防止柵もあって、安心して見学できるようになってました、
遊歩道から北方向に見えるANAホテルと万座ビーチ、
右手にはトベラと呼ばれるキノコ岩がみえます、
万座毛を後にして58号線を北の本部半島方面へ、
58号線は沖縄本島の大幹線道路ですね、 車もそんなに多くなく走りやすい道路です、
高速を走る必要ないですよと言われた理由がわかりました、
名護市を通り抜けて向かったのは嵐山展望台、
パナップル畑の先に、展望台がありました、
ちょっとうら寂し気な展望台でした、 傍にあるPに停まる車は無し。
展望台から見る景色は昔と同じ、
但し当時は展望台はなく、「嵐山展望コース」の看板のある道路から同じ景色がみえました、
今は木々が大きく育ち、高いところに上らないと見えません。
正面に屋我地島、その向こう青矢印に古宇利島が見えます、
昔と違っているのは赤矢印のところ、ワルミ海峡に2010年にワルミ大橋が架けられたこと。
因みに古宇利島と屋我地島の間には2005年に架けられた古宇利大橋があり今では地続きになってます、
この後、ワルミ大橋を経て、現在の観光スポットになっている
古宇利島のオーシャンタワーへ向かいます
正面が古宇利島、橋の正面の丘の上に見える塔がオーシャンタワー
オーシャンタワーのトップから古宇利大橋越しに屋我地島、その後ろの高くみえるのが本部半島、
ワルミ大橋から見る本部半島、赤矢印の辺りに嵐山展望台があるはずだが・・・。
次に向かうのは今帰仁村(なきじんむら)にある世界遺産今帰仁城跡、 きれいに整備された公園になってます、
大きな城跡です、建物は残ってませんが、石塁、石垣が延々と何重にも残ってます、
Pの傍の交流センターでチケットを買って、ここの小屋でチケットが回収されます、
事務所で買い忘れると、ここから数百m戻ることになるので要注意です、
後ろは正門(平郎門)
両側と後ろを深い谷で囲まれた山の尾根に城があります、
写真のような石垣、石塁が延々と続いてました、
御内原から見る大隅、
北東方向?を望む、深い谷の向こうに今帰仁村と海がみえます、
一番奥の志慶真門郭(主郭より一段低く、後ろは山)を御内原から望む、
南方向でしょうか?
主郭(俗称本丸)
主郭から志慶真門郭を望む
西南方向?を望む、深い谷です、
この後本部半島を一周すべく、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の
跡地にある記念公園、沖縄美ら海水族館を経由して瀬底大橋を見ながら名護市へ戻りました。
50年前に走った時は始まっていた海洋博の工事が見えるだけで周りに何もなかった記憶だけですが、
今は水族館、公園からの絶景(目の前の伊江島のとんがり山(城山)が面白い)等で大勢の観光客で
道路が渋滞、残念ながら車窓からの観光でした。
名護に戻って名護城跡へも行きましたが石塁、石垣はそれほど残っておらず、城跡に一番近い山上のPに
止めても更に長い階段を上る必要があったのでママはパス。
私は登りましたが、高齢者にはお勧めしません。
この後は沖縄高速を許田ICから沖縄南ICまで使って2泊目の宿へ走りました、
2泊目の宿は北中城村にある;
EMウェルネス暮らしの発酵ライフスタイルリゾート
50年前に泊まった「沖縄ヒルトンホテル」が現存するのであれば是非泊まりたいと思って捜したところ、
1973年開業した後、1985年に「シェラトン沖縄」に運営が変わったあと暫くして閉鎖。
バブル後は長く放置され、2000年代に入り大規模全面改修されて名前、経営は変わって現在に至っているとのことでした、
このホテルは当初観光客と米軍将校向けホテルとして建てられたホテルで、
高い丘の上にポツンとあってとても眺めのいいホテルでした、
今はホテルのすぐ傍まで住宅が建っていましたが、眺めの良さは変わりません。
部屋から赤矢印の普天間飛行場を望む景色です、
当時は足元に見える沖縄高速道もなく、こんなに多くの家屋はありませんでした、
ホテルの受付、食道、バルコニーデッキなどのレイアウトは昔のまま、
偶然ながら部屋も同じ4階の部屋でした。なので部屋からの景色もほぼ同じ。
2日目は走行距離が180㎞弱、城跡の山登りで疲れた一日となりました。