『誰もボクを見ていない』(ポプラ社刊)の著者である毎日新聞くらし医療部記者・山寺香さんの講演会が、12月7日(土)東京・信濃町の真生会館土曜講座で行われた。

 

本のテーマである川口市祖父母強盗殺人事件について、事件にいたる経過や背景などが詳細に語られた。

山寺さんは、少年には幼いころ母親が1か月ほど居なくなった体験があり、このことで”自分が母親から捨てられるのではないか”という恐怖感が植え付けられたのではないかと、述べた。

また山寺さんは、事件を起こすまで周囲から少年に対して救いの手が差し伸べられることがなかったことから、当初、少年のことを覚えている人はいないのではないかと考えていたが、実際に取材してみると、一家が長く居たラブホテルの従業員や管理人たちは、その時の少年のことを鮮明に覚えていたのだという。山寺さんはそれに衝撃を受けたということであったが、周りの人たちは、気にかけてはいたが実際に助けるという行動までは取れなかったということなのだろう。

 このことを面会時に少年に伝えると、少年は「心配させてしまってかえって申し訳ない」と、意外な反応を示したのだという。本来なら気にかけていた人がいたことはうれしいことであるはずなのに、少年からすると、結局その人たちは助けてくれなかったという思いもあるのかもしれない。

 それを感じさせるのが、山寺さんの取材に対して、少年が寄せた手記だ。

 

  一歩踏み込んで何かをすることはとても勇気が必要だと思います。

  その一歩が目の前の子供を救うことになるかもしれないし、

  近くに居た親が『何か用ですか?』と怪訝そうにしてくるかもしれない。

  やはりその一歩は重いものです。そしてそれは遠い一歩です。(中略)

  つまり他人、子供への関心、注意を持っていなくては二歩も三歩も

  子供との距離があります。いや子供の存在にさえ気づいてないかも

  しれません。だから自分が取材を受ける理由は、世の中に居る子供

  たちへの関心を一人でも多くの人に持っていただくための機会づくり

  のようなものです。

 

  このような思いは、少年が作詞した曲「存在証明」の歌詞の中にもあった。

 

 

 講演では、強盗殺人事件を起こす前日、母親と少年が話をした千住大橋のらせん階段の写真や、心に残った曲(松井亮太さんの「あかり」)を偶然に目にした北千住駅前の大型ビジョンの写真も紹介された。

 

 山寺さんは、事件に至るまでの経緯を説明する年表を示し、その中に数か所★印をつけていた。それは山寺さんから見て、少年を救うための介入が可能ではなかったかと考えられるポイントだそうだ。住民票を残したまま静岡県から転居した時期、横浜市中区で講演で野宿していたところを保護され、地元の児童相談所とつながっていた時期などである。

 しかし少年は、母親以外の大人は信用できないと教えられていたことや、自分が保護されるべき存在ではないと考えるほど自己肯定感がなかったことなどから、結局、周りの大人に助けを求めるということ自体考えなかったらしい。

 児童相談所などが介入しようとしても、本人がそれを求めていないこともありうるということは、虐待問題の特殊性であり、この問題への対応の難しさを物語っている。それを踏まえたもっと強い対応をしていかなければならないということかもしれない。

 

 この講演では、この事件の背景として、日本の子供の相対的貧困率が7人に1人と高率になっていることや、全国の少年院在籍者のうち男子の6割、女子の7割が家族から虐待を受けていた経験があるといったデータもあわせて示された。

事件を起こした少年のような、貧困と虐待の環境に置かれている少年少女がまだ他にもいる可能性があるということなのだろう。