自分とは一体何者なのか?

なんていい出したら非常にややこしい人だと思われるに違いない。

 

今現在、生きているのだからきっと世の中の役に立つ生命として神様が生かしてくれているのだろうとか・・・

そんな存在意義を求めたりするのが人間だったりする。

 

かたや、ひとつの動物としてただ与えられた生命を大切に生きているという考え方もある。

 

平昌オリンピックで活躍する日本選手を眺めながら、ふと自分とは一体何者なのか・・・

そんな事が頭をよぎった。

 

人が活躍することは素晴らしい。
そしてその活躍の裏には様々な人のサポートがあるに違いない。

 

様々な選手から夢や希望を貰いつつ。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がふと心に染み渡った

 

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

 

きっと何者でなくても良いのだと。