当時、高校生だった私は

部活が終わって家に帰って

妹たちとテレビを観ているところでした。

 



そこから少し時間が経ち

テレビやラジオで

その状況を理解するんだけど

ラジオパーソナリティを目指す身として

現地がどうなっているのか

きちんと自分の目と耳で感じておきたい

その上でいつか伝えていけたらいいなと思い

(綺麗事とかではなく

当時の私は本当にこう思って)

気がついたらパソコンで

「地震 ボランティア」と調べていて

最初に出てきた


Youth for 3.11


という団体に連絡。



 

すると「この人と直接連絡を・・・」と

教えられたのは、知らない誰かの電話番号。

 

え、誰?

 

とは思いつつ、とりあえず電話。

 

そこで電話に出たのは

「ぶんちゃ」というおじさんでした。

 

え、誰?

 

とはなりつつも、

ぶんちゃから教えられたのは

また知らない誰かの電話番号・・・


電話をしてみると今度は

「かんぺー」という男性でした。

 

え、誰?

 

ってもうならないよね。

ここまでくるとね。(笑)

 



かんぺーから言われたのは


「今は元々ラブホだった家を借りていて、

ボランティアの人には

そこで過ごしてもらっている。

寒いしお風呂は入れないけど大丈夫?」


といった当時の状況。



でも高校を卒業したら絶対に行く

と心に決めていたので

そんなの全く問題なかった。


 これについては

全く知らない人の所へ

行くことを許してくれた

両親にも感謝しています。

ボランティアとはいえ

知らない人の家に泊まるって

しかも高校卒業したばかり、

今考えるとすごい行動よ・・・

 

 

そうやって私が現地でおこなったのは

被災した子どもの遊び場を作るボランティア。

朝から夕方までひたすら子どもと遊び

夜は反省会をして、次の日も遊ぶ。


遊ぶだけだけど

子ども相手に手加減してはいけないこと

怒る時はきちんと怒ること

学ぶことがたくさんありました。

「津波ごっこ」っていう

一瞬ぎょっとする遊びもしたなぁ。


大学生の間は

長期休暇になると毎回行っていました。

むしろ第二の故郷のように

行きたくなってる自分がいた。


一度だけボランティア期間中に

津波警報を聞いたこともあります。

鳴り響く警報に変な胸騒ぎがして

これだけでもかなり怖いと実感。

そしてそういう時に

地元の人が頼りにしているのは

ラジオだということも知りました。


ちなみに

 髪がくるくるしていたから

子どもたちからは「わかめ」

って呼ばれていました(笑)

最初は最悪なニックネームだなって

思ったんだけどそのうち

子どもたちのお母さんや

夏祭りの時は地元の人からも

わかめちゃんって呼ばれて

いつの間にか愛着が湧いていました。

 

初めて気仙沼に行ったのは18歳。

あの頃まだ小学生だった子たちも

もう高校生、大学生になっていて

聞いた話では成人する子もいて。


あの頃の私よりも年上なのかって思ったら

なんかとっても不思議な気分。

9年はあっという間だね。

あの頃18だった私ももうアラサー。


かんぺーにも

「わかめがアラサー!」って

驚かれました(笑)

 


テレビを観ていると

「震災を経験していない幼い子に伝えたい」

って動き出している子たちもいて


でもきっとその横には

まだ立ち直れない子たちもいて


きっとそれぞれが前を向こうと

それぞれのやり方で

進んでいるんだろうな。

 

それはここに居ても分からない。

分かりたいけど

やっぱり行かないと分からないことは

山ほどあります。

 

だから今年は必ず気仙沼に

ただいまって言いに行こう。



夏祭りにも行こう。