巡り合わせ(縁は異なもの) | 熊八の自由記

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身の周りに起きたこと、ふと感じたことや気付いたことを気ままに書き綴っていきます。気軽に読んでください。

私は習い事をしている。

以前やっていたことをふとしたきっかけで再開した。

 

まずは先生選び。たくさんいる候補の中からどの人を選ぼうか迷っているときにふと目にとまった人がいたので、その人を選んだ。ダメだったら変えればいいやくらいの気軽な気持ちであった。

 

この選択が吉と出た。

レッスンを受けるたびに楽しさが増し次のレッスンが待ち遠しくなったのである。怠惰な私が真面目に取り組むようになったことは驚きの何物でもない。

この人(先生)のお陰て、自分の生活パターンが劇的に変化したわけである。

 

まず体調面であるが、自主トレーニングのお陰か、健康診断で引っかかっていたものすべてが解決した。おかげで体調は抜群に良くなった。

 

次は精神面であるが、以前より落ち着きが出て慌てなくなった。何より精神が安定しているのがいい。これも特筆すべきことである。

 

とういことで本当にいうことなしである。この人にはいくら感謝してもし足りない。

 

さて、

なぜこの人を選んだのかは冒頭で述べたようによくわからない。もしあるとすれば私の勘のよさであるが、この勘が信用できない。これまで幾度となく失敗してきたことを考えると勘ではないということになる。

 

結局、よい巡り合わせだったのだと思う。たまたま良い人と巡り会ったというのが一番適切な表現であると思うが…

ただちょっとだけ引っかかるのは、神様が与えてくれた最後の機会だったのかもしれないと思える節があるのだ。

 

私は現実主義者である。その現実主義者である私がこんなことを言うのは、自分の意志とは別のところで動かされているような感覚があるからなのだ。これは自分でも説明できない。

すべてが自分の意識の中にあると思うのは少々思い上がりであるとは思うが、それでもこれまで経験したことのない不思議な感覚があることだけは間違いない。

 

縁は異なものである。

 

この人との出会いを大切にしたい。