運動といえば、たまに散歩をするのみ

家にこもっていることが多い私が

プチ登山に挑戦したのは5日前のことでした⛰️


記事にもしましたが

600mの道のりではありながら

けっこうな急勾配だったんですよね😅




(こんな急勾配ですよ)




おまけにプチ登山前には

正八幡神社の150段の階段を上がっていて

森も少し歩きました🌳🌳🌳



記事にはしておりませんでしたが実は

宅並山に行くまでに迷いまして😅


行き着いた先が

私が大好きな「宇佐八幡神社」だったことに驚き


ご縁を感じて

そちらもまあまあな階段を上がって

お参りさせていただいておりました⛩️








(こちらの神社もとっても気持ちよくて

 またお参りさせていただこうと思っています)





ですので

今までの私でいたら

運動不足の私は翌日、または翌々日

筋肉痛でヒーヒー言っていたと思うのです。



実際に今まで

正八幡神社の150段を

上り下りした次の日は

軽い筋肉痛になっていることが多かった私😅




宅並山の急勾配を登っていたときに

やっぱりふくらはぎにキテルのを

感じたんですよね💦💦



「こりゃ明日は筋肉痛だな😓」



そう思ってハッとしました!




いかんいかん

この意識が体に働きかけて

体が筋肉痛になろうとしてしまうわーっ🤣❗️



「私は筋肉痛になりたくないよ。

 だって明日行きたいなと思うところが出てきたら

 身軽に動いて行きたいからね」



そう思い直したのです。

そしてそのことは忘れておりました。




(宇佐八幡神社の紫陽花)






登山を楽しみ

帰りには「光洋台風早緑地」という

素敵な公園を見つけたので

そちらでも写真を撮りながら歩いて

それから帰宅したんですね。



その日はゆ〜っくり休みました。





翌日も散歩に出かけたのですが

そこで気づきました。




あっ!まったく筋肉痛がないわ😳✨!




その日も動的瞑想が進み

きれいに咲いている植物に夢中になって

写真を撮っていたので

気づけば3時間歩いていました。



そうして今に至るのですが

筋肉痛になっておりません😊✨






人は得た情報から

無意識に自分をその情報に

のせていくことがあります。


体はその情報に添おうとするんですね。



「いい歳になったら不調が出てくる」

(いい歳ってなんなんだ?)

「◯才になったら発病しやすい」

「この食べ物は体によくない」

「これを食べたら太る」



などなど...

こんな情報に素直になる必要はないんですが


それは無意識にあって

実際にそうなることで


ほらやっぱりこうなった!と証明し

さらに強化していってしまうんですよね😱







私は症状というものと向き合ってくる中で

(家族の症状も含め)

心配というエネルギーで

不調を作り出していたことを体験してきました。



あるとき自身の不調が続き

病院で数値をはかることになりました。



その前に体と対話をしたのですね。



そうすると

その向き合っている臓器は

驚くことに

症状に向けてではなく



私の在り方について

こんな視点をもったらいいと

教えてくれたのでした。




そのときに体は

私が発していることをすべて聞いていながら

私が思い込んだことに対して

素直に働いてくれているのだということを

知りました。



その思い込みに添って素直に働いていきながら

自分の軸という本道からズレてくると

あるとき不調というサインを

送ってくれていたのです。




不調は愛、でした。



そして体も愛、でした。





(光洋台風早緑地公園の紫陽花)




人は

自分の軸という本道からズレて

不調を体感してみるという学びを

してみることがあります。


「本道からズレてみる」

という本道を通るのです。

(ややこしい言い方になりますが)



症状を通して

心との距離感、体との距離感

心の位置、体の位置

自分の位置、在り方

世界の創造の仕方を知るのです。




私の例で言いますと


私はレイキヒーラーで癒すことができるけど

症状を体験してきて


不調ができるカラクリを


自身の心と体とエネルギー

まわりからもたらされるエネルギーから

知ることは本道だったと思います。



レイキのエネルギーを知ることも深まったし

(症状はありながら痛みがあったことがないし

 必要以上の悪化はありませんでした)


人を癒すということは

どういうことなのかも知ることができました。


人を癒すことへの

自分の立ち位置や在り方を知ったのです。



それを支えてくれたのも

やっぱり体でした☺️💕









痛みがあったり不快だったり

辛かったりするから

もちろん一刻も早く治りたい

(そうしながら実は治りたくないとする

 正反対の自分がいることもあります)



そのために

焦ったり

落ち込んだり

責めたりすることは

自然なこと



それらを聞き

例え責められても


体というものは

自分らしく生きることにつながる

気づきを得るため


不調な中ベストを尽くして

一刻一刻と働いてくれます😌




症状があるとき

様々なネガティブを感じながらも

その愛に目が向くこと


自分にどんなズレがあって

何に抵抗しているのか

知ろうとすることが


治癒に向かっていくことに

つながるのだと思います。









高い数値や症状が出ていても

バランスをとるために体が出している渦中で

あることがあります。


出ないことではなく

出ることが最善であることがあるのです。




心配になる


それはもう本当に

当たり前のことですが


体と対話してみると

カラクリが分かり

数値や症状の程度を超えて

なぜか大丈夫と思える自分が出る

不思議がありました。




病院で診ていただくことも

自分の今の体を知ることで

もちろん大切なことです。


私は今、毎月通院し

漢方を処方していただいています。



そうして体専門のかたに身を委ね

意識を心配へ向けないこと

自分の本当の望みに向けることにしています。







今回の登山では

見えないエネルギーの恩恵と

体との作戦会議をしたようでも

あったように思います😊