ふたつ前の記事に書いたのですが、先日
「死ぬまで生きなくてはいけない(めんどくさい)」
という驚愕の観念があったことに気づきました。
ですがそのとき私は山頂にいて⛰️
目下には
素晴らしい海と大好きな街の景色が広がっており
一歩一歩上がってきたから
山頂に辿り着き
人間だから味わえる醍醐味を
味わわせていただいているはからいに
「死ぬまで生きていきたい」
という希望がわいていたのでした☺️
ただ
根源を揺さぶるような観念だったし
登山中も対のエネルギーになるようなものを
無意識に写真におさめていたことからも
あらためて感じましたが
絶望と希望という極を統合していくような
エネルギーが働いた後なので
自分がぐらついているのを感じました。
自分を整えるためには
瞑想がいいと思いましたが
静的瞑想よりは
外を散歩する動的瞑想がいいだろうなと思い
歩くことに。
今年いろんなことを気づかせていただいている
松山市総合公園へ行くことにしました😊
そういえば総合公園内にある
考古館の古代蓮が開花する時期だな...
写真は2年前の古代蓮ですが
この花はその年、考古館で花開いた
第一号の花でした💕
この美しい立ち姿は
無意識に何か働きかけてくれているようだと
そのとき感動したのでしたが
その通りでした。
振り返ってみると
ちょうど私のブログのタイトルにしている
『一は全、全は一』という言葉に出会い
この言葉から
私の循環ってどういうものなんだろう❓と
内観していく流れに
シフトしたときだったのですが
この花の映像が
ずっと心にあったのです。
この写真は私の
お守りのひとつだったと思います。
そうしていろんな気づきを経た今
循環というものは
私ひとりで完結することはない
ということがよく分かり
新しい循環の形をまた知っていくという
次の扉が開いていることを感じています🚪✨
そんなわけで
総合公園の考古館へ行ってみました。
が💦
そのとき(6月7日)は
まだ花は開いていなくて
たくさんの蕾ができていました☺️
花が開くと
たくさんのかたが見に来られるのですが
まだ花開いていないので
そこにいるのは私ひとりでした。
花が開けば明度の高いピンク色になりますが
蕾はかすみがかったようなピンク色で
私ひとりだったこともありますが
そこだけ日常から切り取られたような
空間のように感じました。
この蕾を見ることができてよかった☺️✨
来るまで、ぐらついていた私を感じていましたが
このスッと立つ茎と
ピンッと上を向く蕾に
力をもらったと感じました🥰
たぶんこの花が
今年花開く第一号になるんだろうな...
明日か明後日には会えるね
また来るから花を見せてね☺️💕
そう心で挨拶をして
古代蓮の蕾たちと別れました。
第一号さんは
「花開く」という言葉がぴったりの
美事な開きっぷりでした。天晴れ😆💕
花も素敵ですが
偶然のような
必然の並びの水滴にも惹かれました。
雨が降っていたので
またもや私しかいなかったのですが
今度見に行くときは
古代蓮が花開くのを楽しみにしていた
「同志」の皆さんと
話さずとも
開花の喜びを共有させてもらえたらいいな
と思うのでした😄