生育歴の「思い込み」や「思い残し」を

昇華していくことは


嫌いだとしていた自分という影

あのエピソードは消してしまいたいとする影の

光の部分に気づいていくことだと思います。




この世界では

影だけで存在するものはありません。



影は光があるからできるもの



影や光は

存在しているもの(人)がそこにあるから

できるもの




光の部分に気づいていくとは

影だとしていた自分に気づくだけでなく


その影が実は、自分応援団の団員で

ものすごい働きをしてくれていて

信じる一択しかないことを知ることなのです。







あのとき言えなかった

あのときああするしかなかった

あのとき恥をかいた

あのとき傷つけた

あのとき...    あのとき...




そんな自分という影は

そう見せながら実は


そうやって自分に嫌われてでも

自分自身を守ってくれているのです。




影は消えることはありません。


「心におさまっていく」んです。

この過程がいわゆる「手放す」というものですが


じゃあ、何を手放すのか?

というと


そのエネルギーに

「過剰に反応する自分」

を手放すのですね。



そうして影だったものは

自分の「底力」という深みになるのです。




ひとつひとつを昇華し

自分応援団が大きくなっていった先には

光と影を知っている深みある自分がいて

「存在感」が大きくなっているのですね🌳✨



自分の中でも。



自分の内につながっている

外の世界でも。








何かをくっつけてできた自信は

地面が揺れれば

崩れ落ちてしまうことがあるけど



その道をたどり自分と仲直りし

自分には大勢の自分応援団がいる

光と影を知っている深みある自分がいる


「自分の内から出てきた自分を信じている」

内から形作られた自信は


地面が揺れようがびくともしない。



崩れ落ちようがないんです。





なんで私ばっかりこんな目に...



影を大きく感じるということは

そのエネルギーと同等の光があるということ


その影と光をもつことができる

存在感(存在するエネルギー)がある

自分がいるということ✨



起こっていることを

いつでも

『何が起きるか分からない』という

影にも光にもできる自分が

いるということなのです✨✨







私は「昇華する」というところを通り

今、観念を外していくというところにいます。



見えてくることに

自分が念を入れているものがないか

見ているのですが


先日、観念の親玉が出てきました💦




まさかの


『自分は変だから(胡散臭いだろうから)

 拒否されて孤独になる』


という観念でした😱




昇華をしていく流れのときには

日常のネガティブな人間関係や

起こってくることに

昇華していくエネルギーが散りばめられているので

何かあるなと分かりやすかったのですが


ただただ穏やかな日常で

幸せだな、ありがたいなの中にいるので

ひとりでは気づきませんでした。



ただ

進んでいくのに段差があることを感じ

この段差は何なんだろう?


進めないというか

進もうとしない自分がいるのは

何でなんだろう?

と思っていたのです🤔



たぶん

力んででもやる!

そこに自分のお尻を叩きながらやる!

とすれば

できないことはなかったと思います。



だけどその小さな段差には

『拒否』という大きなエネルギーが

ありました。




拒否は


拒むとする

「入ってこないで〜」と後ずさる

後ろに働くエネルギーと


否むとする

「入れるもんか」と立ち向かう

前に働くエネルギーとが


拮抗しているエネルギーです。



私の中でものすごく馴染みある

「アクセルとブレーキを同時に踏む」

エネルギーは

ここからきていたと腑に落ちたのでした。



ここに気づきたいとする

私がいたんですね〜😊




この『拒否されて孤独になる』は

冒頭の話だと影ですが



『孤独』という

ワンネスの境地の対極にあるものを

丸抱えしてこれた自分ってすごいじゃん!

という想いは光になりました。



さぁ!自分はどんな存在になるんだろう

と思わないでもないですが

力むのは私の生き方の癖😅💦(笑)



先走らず、後退りせず

『今』を見ようと思います😊





(お気に入りの木を見つけました〜☺️💕)