自分という人生の
ストーリーを生きてきました📖✨
そうしていつからか
そのストーリーは
登場人物たちに揉まれて
ネガティブからポジティブ(逆も然り)の
波に巻き込まれる
「ドラマ」仕立てになっていました。
無意識の中でやっていることですが
自分のストーリーを「ドラマ」にする
そう選んでいたのは
他でもない自分でした。
なぜドラマを選んでいたかというと
感情の幅という波にいることで
「あぁ、生きているな〜」と
思えたからです。
(これは、まやかしでしかないのですが😅)
ドラマ特有の
「感動」を求めていたのですね。
「ドラマ」を生きていたことに
気づいてはじめて
そのままドラマを生きるか
ドラマを生きることから離れるか
選択できます。
奇跡や復活劇のような感動があったとして
波に翻弄されながら
「ドラマ」を生きるのはしんどい💦
私はもうお腹いっぱいかな😓
そう思って「ドラマ」から抜け
穏やかな中を生きてみましたが
感動がなくなることなんてなかったのです😊
「波」に流される、または巻き込まれる
(ポジティブ、ネガティブの波)ことから
感じられてくる感動ではなくて
等身大
自分に一致している感動があるのです。
穏やかな感動、です。
そこには
奇跡や復活もありましたしね😊
生育歴からの
「思い込み」や「思い残し」という
事実の影としているものを紐解いていく中で
私は
自分を救ったり(掬ったり)
自分の個性に気づいたり(宝物を発掘したり)
してきました。
世界って優しかったんだ
美しかったんだと
自分を生きてきてよかったと
思える感動のストーリーがいつもありました。
事実にある「光」に気づいていったのです。
それがストーリーとして
心におさまっていくことは
私にとってとても...
とても大切でした。
その時間は
私にとって宝物で
それが変わることはありません。
このストーリーを生きる自分を
選んで生まれたきたんだろうし
そう生かされてきたんだろうとも
思っています。
そして
私のストーリーを生きていきたいし
ストーリーを大切にしていきたい私もいます📖✨
それは違いない。
ですが
矛盾するようですが
ストーリーとして
起承転結があることや
何かが成せたから
「めでたしめでたし」に「なること」を
意識するところからは
離れていくときなのかな
ということを感じています。
最近私は
「原因と結果」のエネルギーの中にいるんだ
と気づきました。
自分の人生を使って
壮大な人体実験をしていたんです💦
心がこう変わったら
体はどうなる?
現実はどんなことが起こる?
どんなものが見える?
どんな人とつながる?
それを知ってくることも大事だったけど
自分の人生をコントロールするという
自分の枠から離れてみると
『この世界は何が起きてもおかしくない』
↑これが今までは
「怖れ」からの視点だったんですよね。
もし暴走してしまったらどうするの😱って。
怖れていたから
枠の内にいたし
「原因と結果」で人生を把握していたんです。
この「原因と結果」エネルギーの中にいる限り
「証明をする」がついてまわるんです💦
これが
今の私のエネルギーに
ズレてきたんでしょうね。
私との「不一致」が
窮屈で苦しくなりましたし
ズレてるから
ズレを証明するようになってきました💦💦
今、少しだけ感じている
「ストーリーという意識から離れる」ということが
どういうことかというと
原因も結果もない
ただ書き換え可能な今があるということ
『この世界は何が起きてもおかしくない』
このエネルギーに怖れではなく
光でつながっていくことなのかな
なんにしろ
行ってみないと分からないですよね😆💦
ちょっと行ってみます〜👍✨