最近「写真」や「写真を撮る」ことから
この生とは?ということを
学ばせていただいておりますが
そんな中
思い出されてくることがありました。
私は13年前にお師匠さまである
セラピストさんに出会いました。
箱庭療法に興味があり
箱庭を置かせていただいたのが
はじまりなのですが
お師匠さまに✨✨
箱庭の世界に✨✨
心という世界に
たちまち魅了され✨✨
以後、お師匠さまに添っていただき
月に一度のペースで
自己分析をする時間をいただきました。
自己分析は
生まれてから成長していくにおいて
思い出されてくるエピソードを
紐解いていくものです。
その時のことを
思い出したのです😌
↑これは赤ちゃんの頃の私です😁
ふふふ💕初!顔出しですね笑
赤ちゃんのときの記憶はないので
セラピストさんと
この写真を見ながら
0歳の時の自己分析をしました。
自己分析の場で
はじめにこの写真を見たとき
写真の私がすごく悲しそうに見えたんです🥲
えっ...なんで❓
実家で写真を選ぶときも
この写真を持っていこうと決めたときも
悲しみなんてひとつも感じていなかったのに💦
戸惑いを感じながら
さらにこの写真を見ていますと
『私は邪魔な存在なんかじゃない!』
という声が内から響いてきて
何が何だか分からないうちから
涙が出たのですね。
赤ちゃんの記憶なんてないと思っていたのに
鮮やかな感情と涙が出たことに
びっくりしながら私は
赤ちゃんの私の声を聴きました。
そうすると本当に不思議なのですが
当時寝かされていた部屋や
そこで母が私の世話をしてくれている様子が
浮かんできたんです。
カーペットの質感とか
見えている天井とか
母が私をあやしてくれる声とか
自己分析をしている私もいながら
赤ちゃんになって寝ている私もいる
そんな感覚でした。
こうやってあやしてくれている母がいて
愛情をもって世話してもらっていたんだな〜
だったら何でさっきの
『私は邪魔な存在なんかじゃない!』
が出てくるの?と思ったとき
母の声なき声が私に届きました。
『早く寝てくれないかな...』
そうしてその声を受け取った私は
実際よく寝るようにしていたんです😳💦
母から
「あんたは赤ちゃんの時からよく寝てたもんね〜」
と幾度となく聞いていたのですが
そんなカラクリがあったとは驚きでした。
赤ちゃんって自分のことは
何一つできません。
母は自分の時間を削り
愛情をもって世話をしてくれてもいました。
人間なんだから母が
自分の時間をくれ!と思って当然
大きくなった私は
それらはすべて理解していることです。
私があのときの母だったとしたら
『早く寝てくれないかな...』
と絶対に思うだろうし。
でも
赤ちゃんの私は
悲しかったんですよね🥲
私は昔から親戚や
友達のお母さんがたから
「気を遣わなくていいんよ」
とよく言われて育ちましたが
『私は邪魔にならないように
気を遣わなければいけない存在』
が根っこにあるから
気を遣わずにいることは
できなかったんですね。
そうせざるをえなかった私は
さらに、まわりの大人たちに
「気を遣わなくていいんよ」と
気を遣わせている。
このカラクリなんて知るよしもない当時の私は
こんな私を
「ダメな私」「こんな私は嫌い」
としていたんです。
いやいや、ダメどころか
私はそれだけの
「受け取る力」があったんだよ😳✨
影となっているエネルギーの
光に気づいた瞬間でした。
自己分析中に
当時の母がそこにいるとして
「私は邪魔な存在なんかじゃない!」と
言葉にして口から発したとき
それが当時の母に伝わったと
手応えを感じたとき
大人になった私が
その言葉を聞いて
自分を大事にできたと分かったとき
それがエネルギーが昇華した瞬間でした。
昇華した後
写真を見てびっくり!
赤ちゃんの写真の私の表情が
違っていたのです😳✨
そこに
悲しそうだった表情はなく
しっかりこっちを見ている
それはもちろん
他ならぬ私の内が変わっているから
そう見えるのですが
添ってくださったセラピストさんも
写真の表情が違うと言ってくださったのを聞いて
何かは確かに変わったのだ、と
そんな世界があるのだと
当時の私は感動したのでした。
実際、私もご縁をいただいて
写真を使ったセッションを
させていただいたのですが
エネルギーを昇華した後に
そのかたから
「写真の私の顔が違う!」という声が聞かれ
写真を見せていただいたら
写真の表情が確かに違っているんですよね。
「まさか」とか
「ありえない」を外してみると
見える世界が変わることは
特別な何かではなく
自然に流れるように
静かに成されているのです。