おひとりさま | くまがい大 オフィシャルブログ「日本の明日を“ゆたか”にしたい」Powered by Ameba

おひとりさま

こんばんは

くまがいです。


最近、「おひとりさま」という言葉が

流行しているようです。


言葉の通り、晩年まで「一人」で

生活を全うする方々のことらしいです。


話は飛ぶようですが、

本日何気なく新聞をみていると

ある商品の広告欄にこのように

書いてありました:


「孫が古希、娘が米寿で、私は茶寿。」


このキャッチコピーの世界が

間もなくやってきます。


日本は近い将来高齢化社会を超えて

「高齢社会」に突入します。


私は、選挙戦でも一貫して主張しましたが、

高齢化はあまり問題ではないと

思っています。


むしろ世界各国がうらやんでいるこの

「長寿社会の実現」を達成した我が国日本の

誇るべき姿だと思っています。


問題は諸先輩を支える土台である下の世代が

少子化に陥っていることの方が深刻で、その

対策をもっとドラスティックにしていかなければ

ならないと思っています。


このような背景がある中で、

先日介護保険10年を迎えるに

あたってのシンポジウムに参加させて

いただきました。


いろいろと勉強になったシンポジウム

(私もパネリストのひとりでしたが)

特にキーノートスピーカーの樋口恵子さんが

最後の方で会場の方から質問を受けて

答えていたその内容

(質問は家族が崩壊して

来ていることへの考え)

で、


「介護保険が開始されてから

10年が経ち、一番大きく変わったのは、

家族の在り方、形なのです」


とおっしゃっていました。


そして「おひとりさま」と銘打った

著作が軒並み販売部数を伸ばし、

家族の絆を繋ぎとめようとする

著作は微ヒットにしかならない現状を

紹介しながら、


健康保険

失業保険

年金保険料

医療保険

介護保険


という手厚い公的保険が

家族という形態ではなく

一人で生きていける環境を整備した

(もちろん彼女はポジティブに発言しています)

とおっしゃっていました。


もし彼女の主張する通り、

こうした一連の保険が、

日本人の強みであった家族制度

(もちろんその「揺らぎ」の原因を

作ったのはGHQであるが)を

補完するのではなく、バラバラに

それこそ「おひとりさま」的な生き方を

促進するような制度であるならば、

本当に「良い」制度であったのか

検証が必要であると強く感じました。


確かに最期まで「自立」した生き方が

できるというのは理想であります。


しかしそれが自立という美名のもとに

孤立であったり虚無が覆う孤独であったならば、

それは社会にとって是正してかなければ

ならない課題であると思います。


そして私は日本がますます無縁社会に

突入してきているのは、その負の面が

表れているのでは、と懸念いたします。


向こう三軒両隣

という、ある意味民間の

互助体制はもはや

失ってきてしまったとは言え、

それをカバーするのが

公的負担、ということであれば、

社会が被るコスト(費用、というめんだけではなく)

というのは莫大なものになって

しまいます。


新しい形の、家族の絆を

確かめられるような制度設計が

必須であると改めて思いなおした日でした。


しーゆー

ゆたか