2024年6月23日(日)京都 東本願寺しんらん交流館大谷ホール 13時〜15時半

 

佳代子さんのFacebookを見て、宇梶静江さんの「自然と共生 そしてこれからのアイヌ」のお話をさっちゃんと一緒に聴きに行きました。91歳とは思えない宇梶静江さんの張りのあるお肌に張りのあるお声…素晴らしかったです。




 

書籍の販売係を担当されている佳代子さん

 



 

感想文を書きました。

 

 

宇梶静江さんの「自然と共生 そしてこれからのアイヌ」のお話を聞いて 

 

アイヌには神様「カムイが見ているよ」という言葉があって、誰に見られていなくても 神様、カムイが見ている だから悪いことはできない ということを子どもの頃から知っていると 宇梶さんは仰った。

 

それと似た言葉に「お天道様が見てる」という言葉を思い出しました。誰に見られていなくても、お天道様が見てる。悪いこともいいこともお天道様はちゃんと知っててくれる。誰に知られずにいいことをしても、それをちゃんとお天道様は見てくれているし、誰にもバレていないと思ってコソコソ悪いことをしたとしても、お天道様はちゃんと見ている。お天道様に恥じない生き方をしよう、という教え

 

 

「お天道様が見てる」という教えとアイヌの「カムイが見ている」という教えの根底は同じもの。沖縄や北海道は京都や奈良の都から離れているからこそ 伝統文化が残っている…本当は日本の各地にアイヌや沖縄の民のようなスピリットを持った民たちがあったはず、だから「お天道様が見てる」の教えが残って今に伝わっているのではないかと思いました。

 

 

 

 

明治において倭人はアイヌの首長たちを集めて、お酒に毒薬を入れて皆殺しにした…794ウグイス平安京の昔から 東北のアテルイとモレを和平和睦と言って平安京に連れて来て騙し討ちにする手口と全く同じ。日本神話や古事記に伝わる ヤマタノオロチを退治する方法とそっくりだ。酒呑童子の民話でも酒を飲まして首を切り落とす…同じ手口。

ヤマタノオロチとされてしまった部族、酒呑童子、鬼や土蜘蛛とされてしまった部族

 

明治に倭人がアイヌの民を差別して迫害して土地や文化を略奪して人間の尊厳を踏み躙ってきたことは、古代の日本という国 ヤマトの国が地方の部族を支配してきたのと同じやり方だろう。

 

 

 

 

 

50年前に宇梶静江さんがアイヌの仲間に立ちあがろうと呼びかけた時に、その声に応えるアイヌの仲間はいなかったそう 長年の差別によって、アイヌの仲間がアイヌであることを世間に知られたくない、アイヌであることを恥じていたから…

 

そんなに酷い差別があったのか…と思ったけれど、アイヌを部落差別と置き換えるとわかる気がしました。京都や奈良の古い都があった地域や、東海道など道の宿には部落があり、部落差別が今はなくなったと言えるのかどうか…

 

日本に残る部落の多くは、神社の近くや天皇の住まいの近くにあります。それはどういう意味かというと非人、人に非ず、元々は 人ではない=神にお仕えする人々を指すことだったと読んだ記憶があります

 

宇梶静江さんのお話の前に この会を主催してくださった先生のお話がありました。そこで、日本国内でアイヌの研究がもっとも多いのは「滋賀県」だと教えてくださいました。滋賀県には大きな部落があり部落解放、人権教育が進んでいるからではないか?と思いました。

 

 

 

アイヌの民と同じように 「お天道様が見てる」の教えがあって、人を疑わないから 騙されて殺されて、滅ぼされて鬼にされてきた民族が津々浦々にいただろう  

 

アイヌの民の尊厳を守る、復興を応援することは 古代から虐げられ滅ぼされてきた日本各地の部族の記憶を昇華させるためにも重要なことだと思いました。わたしにはアイヌの血が流れているわけではないけれど、ひとりひとりがアイヌのことを 自分ごととしてとらえることが アイヌのスピリットの復興だと思います。

 

 今まで虐げられて、蔑まれてきたものが 実は素晴らしいものだったと気づく…これはアイヌの文化だけにとどまらない

 

奪われても 奪われても 決して奪えないものが ある…

連帯する魂の呼応 魂を解放させる

そして魂を輝かせる時が今 来たのだと 宇梶静江さんの話を聞いて思いました。