ロシア🇷🇺とウクライナ🇺🇦の戦争に
無関心なわけでもないし
自分に関係がない話だとは思わないけれど
ロシア🇷🇺の国に住む人たちが
ウクライナ🇺🇦の国に住む人たちと
戦争したいと思ったのではない と思う
ウクライナ🇺🇦の国に住む人たちが
ロシア🇷🇺の国に住む人たちと
戦争したいと思ったのではない と思う
どちらの国に住む人たちも
戦争したいと思っていたのではないだろう
平和を望んでいるだろう
だけれども戦争になってしまう
戦争したくないのに
戦争になってしまうという無力感
国と国との戦争に
国家と国家との戦争に
国民は巻き込まれてしまう
そういう仕組みを許していていいのかなぁ
国民の意思に反することを国家はやってしまう
ということが示されているのだ
それが国家だ
国家は「国民を守るために戦争をする」と言うだろうけれど
戦争の戦線に出て戦うのは国民だから
国民の命を危険に晒しているのは国家だ
国家という仕組みが
戦争とか原子力発電所とかそういう
人間の命を危険に晒す
非常に暴力的なものと結びついているんじゃないか
誰も人を殺したくないし
殺されたくないはず
まぁ中には人を殺したいという人もいるかもしれない
でも それは少数だろう 精神が病んでいる
人殺し、殺人が
戦争ではOKになってしまう
というのもどうだろう
大規模な犯罪、殺戮行為が
戦争では合法になっている
ロシア🇷🇺の国に経済制裁といっても
おそらくロシアは食糧やエネルギーを自給しているから
たぶん経済制裁をして困るのはロシア以外の国でないだろうか
戦争を仕掛ける方からすると
他国が経済制裁をかけてくることは計算済みで
それを承知の上で戦争を仕掛けるだろう
ロシア🇷🇺は経済制裁をされても困らない
そういう意味で
食料やエネルギーは自国で生産することが
とても重要
食糧やエネルギーは軍事的に重要なのだから
軍事費並みに予算を出して
開発を進めたりすると国家戦略的には良いはずなんだけど
国家という暴力装置の暴走を
許してはいけない
国家という仕組み自体に疑いを持っている
戦争が起こるのは
戦争を利用したい人がいるからで
それはロシア🇷🇺の国の人でもなくて
ウクライナ🇺🇦の国の人でもない