ぼんやり考えて 今日は悟りの境地に至った✨
 
福井正明市長や高島市の民はわたしの「師」なんだ✨と
 
2013年から2017年までの4年間で濃密な経験を積んだ
 
 
2013年
•台風18号襲来
•鴨川汚染チップ問題
•1度目の「今津から新旭へ 本庁の位置の変更」条例改正案 否決
 
 
2014年
•環境センター ダイオキシン問題
•2度目の「今津から新旭へ 本庁の位置の変更」条例改正案 否決
2015年
•庁舎整備の住民投票
•広瀬小学校の廃校…を一年延期させる(文教福祉委員会 副委員長だった)
•3度目「今津から新旭へ 本庁の位置の変更」条例改正案 否決 
 
 
2016年
•広瀬小学校 閉校式
 
•ダイオキシン問題 市職員への求償問題
 
 
 ※小学校を廃校する議案、地方公共団体の事務所位置を決める条例の制定については、地方自治法で、過半数ではなく「特別多数議決」として出席議員の3分の2以上の賛成が必要とされていた。
 
 「特別多数議決」何回やったか?わからないくらい経験した。今から思えば異常な場数だ。福井正明市長でなかったらおそらく経験しなかっただろう。
 
 
 
 
 
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高島市議会議員 熊谷もも 年表
 
2013年 福井正明市長と同じ安曇川町南市区から当選、市長派の会派に所属する。
台風という自然災害で、議員としてできることの限界を知り無力感を感じる。
 
2014〜15年 広瀬小学校の廃校を回避させようと、議員としてできる限りのこと…修正動議をかけることまで経験したが、廃校を一年延期することができただけであった。
 
2015年 広瀬小学校の廃校と、強引な「住民投票」… 市長派の会派を退会し、無所属の一人会派となる。
2016年 滋賀県農業試験場跡地を守ろうと奮闘するも…だめだった。
2017年 現職市長と同じ 安曇川町南市区から市長選に立候補して敗北する
 
4年間全力を尽くして だめだった…という敗北感の方が強い
 
あ、もちろん 提案した政策が実ったこともいくつかある。そういうのはうれしい。
保育園での味噌づくり とかね。
最近では アイカ まさか4年後に実現するとは
 
 
 
一期4年で異常な経験を積んだからこそ、今のわたしの境地があるんだ…
普通に平穏な4年間だったら、市議会議員も楽しくやれてたかもしれない。
 
まだまだ書ききれないくらいたくさんのことを経験させて頂いた。それもこれも福井正明市長のおかげだ。
 
 
 
 
 
 
 
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市長選の候補者の横顔を 改めて読むと 違いがすごくわかる。
 
「強い」自民党を支持する人の気持ちを推測すると「弱者に寄り添う」というのが嫌なんかもしれないなぁ 「勝ち組でありたい 自分は弱者だと思いたくない」という気持ちがあるんじゃないかと思う「自分は頑張ってきた 弱者は甘えてるだけだ」とかね そんな風に思っているかも
 
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高島市の民の14030人は 「強いリーダー」がよかった。
 
高島市の民の13374人は 「市民が主役」がよかった。
 
リーダーにお任せしたい 従いたい というニーズがあるんだなぁ…
 
たしかに選挙という制度、代表者を選ぶ というところから「託す」お任せする ということやもんなぁ
 
まぁまだ市民というか… 領地領民の意識だと思う 「お上が正しい」
 
 
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なんで 旧6町村は合併したんだろうか?と考えてみた。
 
今津町には陸上自衛隊基地
新旭町には航空自衛隊基地
マキノ町や朽木村は 森林、過疎地域であったり、スキー場のある観光地
国からの交付金がある地域だから、これらの町村にとって合併する財政的メリットはなかったように思う。
 
 
一時的に合併特例債が使えても
10年後に国からの交付金は減るのに…
 
基本的に合併するメリットは町村にはない。
国は支出を抑えられるからメリット?がある?
町村に住む人がなくなったら国もなくなるだろうけどね
 
 
高島町病院が… 高島町にとっては合併がメリットあったと思う、病院を支える財政的に
 
安曇川町は??
 
と考えていくと、安曇川町出身の県の合併推進室長であった福井正明氏が
6町村を統廃合、合併して 高島市を作り
 
4度の条例改正案の提出、庁舎整備の住民投票までして「本庁は今津」の条例を改正し、新旭にする…執念深さ…
 
安曇川町の小学校を廃校にしようが、安曇川上流にごみ処理施設を建設計画を進めようが 安曇川地域の支持者は揺るがない
 
新旭の風車村、自然公園はなくなり、菖蒲園も荒廃し、賑わっていた道の駅がなくなっても 新旭地域の支持者は揺るがない
 
安曇川、新旭地域の人たちにとっても 高島市全体にとっても 全く いいことがない、メリットがないのに 揺るぎない支持…
 
やはり「合併」がキーな気がする
 
 
 
 
 
 
 
 
議員をしていた時 安曇川、新旭に古くから住んでいる人たちは なぜか 今津の人たちのことを憎らしく話しているのを聞いたことがある。それは、もう個人としての経験ではなく、古い歴史的意識ではないかと思った。
 
新旭と今津の境目に木津(こつ)という地名があるのだけれど
そこを古津と当てると、今津に対しての古津 伊勢に対しての元伊勢みたいな感じではないかと思う
 
中世 古く栄えていた木津に対して、今津港に賑わいの中心が移ったことが くやしい?とか
 
中世 新旭にある新庄城や清水山城 日爪城… 滅びたのが くやしい?とか
 
わからん たくさんの 城跡もある 古い歴史が残る 地域だ
 
古墳もたくさんあるから、古墳時代からの 土地に残った感情かもしれない