今朝12月30日(水)京都新聞 滋賀版
高島・新ごみ処理施設建設「白紙」から7ヶ月
 
大きな記事になっていました。
 
 
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一方、宮前坊区その周辺の声はさまざまだ。同じ朽木地域の木工職人(45才)は「人口減少が進む中で、施設ができれば雇用が増え、地域も少しは活気づくはずだった。」と計画の白紙化を惜しむ。
 
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木工職人、45才 …
 
40代の若い世代で、木工職人というと
“自然とともに人間らしい暮らし”をしてそうなイメージがわいてくるのに
 
なんで安曇川上流にごみ処理施設を建設することに賛成なんや〜
 
 
わたしは高島市に住む同世代の考えに4年前から失望している。
 
 現職市長の支持基盤は「自然派」
 
 桜の木を整備したり、トチノキを守ったり、地域の伝統の信仰や踊りを掘り起こしたり、アートで地域おこしをしたり、発酵食品、嘉田由紀子さんを支持する方々が…現職市長を支持しているのだ。
 
 わからん
 
 そういう自然や地域を大事にするような活動をしている人らが現職市長を支持してはるのか
 
 わたしは4年前の市長選を起こして、知ったのは 「地域活性化」地域の伝統と文化や「自然派」の同世代の闇 だった。
 
 
 高島市は80代の知性によって、持っていたところがあるのではないか。高島の高齢の方々は80代でもお元気ではあられるし、100まで長生きされる方はめずらしくはないけれど…政治家「熊谷もも」を支持してくださったのは同世代ではなくて、高齢の方々ではないかと思う
 
 
 安曇川上流にごみ処理施設を建設しようとする現職市長を支持する「自然派」の人たちの考えは理解はできない。シコブチ信仰いうてるんとちゃうん?
 
 安曇川沿いにあるシコブチさんをお祀りする思子淵神社、志子淵神社… 川の魔物を取り除く神様
 
 台風で思子淵神社の御神木が倒れたことも、わたしは地域の人たちに訴えるメッセージのように感じている
 
 シコブチさんはもういない
 

 
 
 
 なぜ嘉田由紀子さんを支持する人が現職市長や現職市長を支持するヤジ会派を支持するのかというと、考えられるのは嘉田由紀子さんが滋賀県知事であった(2006〜2014年)とき、現職市長は2012年に退職するまで滋賀県庁の執行部の一員であったからだ。
 
 
現職市長の敏腕ぶりは
 
2003年(平成15年)4月、市町村合併推進支援室長に就任。2005年(平成17年)1月1日、出身地の安曇川町マキノ町今津町新旭町高島町朽木村と合併し廃止。高島市が誕生する
 
ことからも、わかる。
 
 
 高島市の人たちは合併してしまったけれど ほんとに合併してよかったの?とは思う。合併してしまったから、合併してよかったというようにしていくしかないけれど。合併特例債は10年限定、目先の10年間は潤沢かもしれないけれど、10年過ぎたら国からおりてくるお金は合併前より減ってしまう…だから合併しなかった町や村もある。
 
 長野県と滋賀県を比べてみるとよくわかる 長野県は町や村が多い。10年間なんてあっという間…もう過ぎてしまったけれど。それもこれも、当時の市民、町長、町議たちの選択です。
 
 
 

 
 2013年から凄腕の現職市長はリーダーシップを発揮して、高島市内の小学校の統廃合を進めました。当時 高島市議の熊谷ももさんは反対したけれど… 小学校が閉校して、地域がしあわせになったでしょうか?小学校を維持するお金は義務教育なので国から、文部科学省から出るので、市としてはなんの負担もありませんでした。
 
 こどもたちを遠くの小学校に通わせるためにスクールバスが出ることになりました。そのような費用は市の負担です。小学校を廃校にする方が市の負担が増えて、地域にはこどもたちの声が聞こえなくなり… 地域がさびれていく…  それが市民の願いなら、しかたありません。
 
 廃校になった小学校校舎には市長のキモイリで、産業を創出するために民間企業が養殖ナマズなどの事業が始まりました。もちろん市の事業ですから、市からお金が出ています。さて、それらの事業は今どうなったでしょうか?
 
 わたしは嘉田由紀子さんのことを尊敬していた時期もあったけれど、8年前から尊敬はしていない。彼女は琵琶湖や「もったいない」とか環境でクリーンなイメージがあるけれど、彼女の滋賀県知事時代に滋賀県農業試験場湖西分場が閉鎖し、跡地が分譲地として売却された。環境や湖西地域、農業の発展のことを考えていたのかな? 
 
 県が売却した跡地を当時の高島市長(西川さん)は購入して 安曇川駅前の広くまとまった土地 公共の福祉の使用のために守ったが…  湖西分場跡地も 現在は 現職市長により「若者定住促進」安曇川駅西団地になって住宅が15軒ほど建っている。熊谷もも市議はこれに対しても反対した。
 
 市議として反対しても反対しても、通ってしまう…  ほんとう反対するのにはエネルギーがいる。反対しても守りきれない…これは市議ではダメだなと思った。だから 2017年1月の高島市長選を起こしました。自分が市長になりたいから、とかそんなんじゃない。
 
 次の4年間の計画も議会には出ていて、優れた行政手腕により これから次々と公民館、図書館、資料館…が「統合」されていくだろう…まだ起こっていないことを未然に防ごうと思った。4年間経ってどうですか?
 
 
熊谷ももさんは現職市長と同じ地区に住んでいます。だから8年前は 福井正明市長と熊谷もも市議はセットのように地区のみなさまから期待されていたこともありました。当選してしばらく…2年間は「市長会派」と呼ばれる会派に所属して、市長の提出する議案に賛成討論をしたことも何度もあります。
 
だから4年前、市長選 「同じ地区から市長選に出るとはなにごとだ!」ということになり、現職市長を熱狂的に応援支持するみなさんから 意地悪もされましょう。裏切り者ですからね
 
また落選して次の市長選に出ることはないな、と思った。なぜなら4年間でこれだけの「成果」を出す人が、8年間の「成果」これをもとに戻すだけで4年間…いや8年間 それ以上かかっても 失ってしまったものは取り戻せないだろうな また別の形になるでしょう
 
投票された高島市民の2/3が現職市長を選択して、残り1/3が「熊谷もも」と名前を書いてくださいました 8871票でした。「熊谷もも」を支持してくださる人たちのために頑張らないのか?とは何度も思いますし、今でも思います。
 
先日の共産党の大会で 共産党ではない立場からのわたしの応援演説を聞かれた人たちが「力強い」「感動した」「市長になってもらえばよかった」とおっしゃっていたということを聞きました。今、そんなことを言っても「遅い!」ですよね と 福井節子市議と笑いました。
 
「もう出ないの?」とはほんとに言ってもらえてありがたいけれど、現職市長と同じ地区に住んでるからなぁ…「お上にたてつく身の程知らず」は肩身が狭いです 

4年前に市長選を起こしたことは「熊谷もも」にとって不利益なことでしたが 後悔していません