大西つねき氏の「命の選別」発言について
今回の大西氏の「命、選別しないとだめだと思いますよ。はっきり言いますけど、その選択が政治なんですよ」という発言を聞いて、施設にいた頃の私のトラウマを思いだし、背筋がぞっとしました。
「命の選別」それが政治によって決められる世の中になったら、常時介護の必要な重度障害者の私は真っ先に選別の対象になるでしょう。
障害を持った幼い時から自分の命を誰かに預けなければ生きていけない私にとって、他者に従うことは絶対でした。私の命、私の身体、私の生活、すべてを他者にゆだねるということは、支配されてしまうことです。
(一部転載終わり)
他者にゆだねるということは、支配されてしまうことです。
ここにすごい本質があるとわたしは思います。だから彼女が身体の障害を持つ当事者として国会へ参議院議員として参加されたことに大きな意味があるんだ と感じました。
代議員というよりも、当事者として政治に参加する。
わたしはれいわ新撰組の戦略に彼女を利用したのかな?とも思っていましたが、そういう面はれいわ新撰組にはあるだろうけれど
重度の身体障害者としてまさしく、介護サービスなどを受ける立場の人が、国会という政治の場に存在されることは
他者にゆだねない、支配されない方向への力強い宣言なのだ とわかりました。
そして、最高の締めの一文
命の選別をするのが政治ではなく、命の選別をさせないことこそが、私が目指す政治です。
これだよなぁ!思いました。
ここが根本的に全く違ってる。やから、いくら話し合っても分かり合えないのかもしれない。
政治というものが なにか
政治をどういうものだと思っていて
何を良しとし
何を許さないか
根本的なところが全然ちがってる。
もしかすると、れいわ新撰組の山本太郎さんもわかっていないかもしれない。
政治は支配するもので、それで良し
(良い支配者 王様がいればよい)
とするのか
一部の誰かに支配されないような政治を目指す
(みんなが参加する)
のか
っていう、政治思想の話とちゃうかなと思う