めらめらめら

 

 

 

 

去年の11月バザールマルシェ

「ベーシックインカム入門」同志社大学の山森先生

 

 

 民主主義において「議論」が大事だということになっているらしいけれど、「議論」と「合意に向けてじっくり話し合う」のニュアンスが大いに異なるように思う。

 

 山森先生は「ベーシックインカム」を授業で学生たちに教えたり本を書かれたりはされるけれど、もう「活動する団体」には関わらない、らしい と聞きました。

 

 ほんとうにそう思う。

 

 平智之先生もそうだなぁ...山森先生と似たタイプだと思う。穏やかで優しく知性がある人は「自分たちの主張は議論だと、主張する人たち」の攻撃的なエネルギーに対してすごく消耗すると思う。

 

 話をする度に、いちいち「わたしはそんなことは言ってはいません」とか言わなくちゃならないしね。

 

 「議論」という言葉のニュアンスに

 「合意に向けてじっくり話し合う」というニュアンスがあまり感じられない。

 

 「議論を戦わせる」とかそういう感じだよね。

 

 「議論が必要だ」ということで

 10年間「ベーシックインカム」で議論がなされて

もう議論は十分深まったかと思いきや

 

 

 2009年から8年経った2017年の春だったか?

同志社大学で開かれたシンポジウム「エノ・シュミットと語るコモンズ、フェミニズム、ベーシック・インカム」の質疑応答で会場から

 

 2009年と全く同じ質問

「働かざるもの食うべからず、働かなくなる人が出てきたらどうするのですか?」があって

 

 意識はまったく進歩していないんだなぁ...と思った。

 

 

「お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか」

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334043827

 

 

 この10年間でむしろ、「議論」によって「ベーシックインカム」の熱は後退したとわたしは思う。

 

 興味、関心を持った人たちが攻撃的な「議論」によって「もう、いいや」って思って去りました。「議論が好きな人」はその状態を「議論から逃げた」と表現している。

 

 

 「ベーシックインカム」っていいね!って思う人は優しい人が多いだろうから、「議論」にはもともと向いていないと思う。

 

 「議論を戦わせることが正義、正しい」という考え方もおありになるだろうけれど

 

  それで10年 進歩のようなものは見られなかったし

 

 「合意に向けてじっくりと話し合う」という表現に変えてはいかがでしょう?(だれとだれが話し合うのか??)

 

 

 

 

 

 それでも「議論が必要だ」というのなら

 

 

 

 ベーシックインカムの実現を阻止するのには

 「議論が必要だと主張する」

 

 ことが有効なことだと思う。

 

 この10年間実現を阻止できた。立証済みである。